劇評104 

小出恵介を得て、現代へと通じる物語へと見事に昇華した。

「から騒ぎ」






2008年10月18日(土)晴れ
彩の国さいたま芸術劇場大ホール
午後6時開演 作:ウィリアム・シェイクスピア
演出:蜷川幸雄
出演:小出恵介、高橋一生、長谷川博巳、
月川悠貴、吉田鋼太郎、瑳川哲朗
場 : 来慣れないとやはり遠いですよね、この劇場。埼京線の本数も、夜になればなるほど少なくなってくるし。でも、今回は6時開演で9時に終演だったので良かったです。会場に入ると、劇場の緞帳を下りていて、上下に1体ずつ白い彫像が置かれている。
人 : 20〜30代の女性が中心かな。ほぼ満席ですね。小出恵介クンのファンらしき女性がやはり目立つかな。でも、お行儀いいコが多いですね。大人しい感じでお上品な感じ。これ見よがしに、スタンディングオベーションする人もいなかったし。


 面白かった。タップリと劇世界を堪能出来た。舞台で演じられていることは虚構の世界なのだという前提は、もう観る前から明らかに分かっているのだが、しかし、この作られた物語を役者たちが嬉々として演じている姿に、ドンドンと気持ちが同化していってしまうのだ。



  本の面白さはもはや言うまでもないが、そのテキストから活き活きと登場人物を甦らせた演出の美学と洞察力に加え、役者の個性と技量が、多大に作品に反映されている。特に、シェイクスピアの台詞の丁々発止のやりとりの面白さが、今回、物凄く伝わってきたのだ。また、ベネディックを演じる主役の小出恵介が、とてもいいのだ。初舞台だということであるが、変な気負いも不自然なもの言いもない。

 


  小出恵介には、タレントを主役に据えると時にありがちな、舞台全体から浮き上がった違和感のようなものがないのだ。オーラの度合いが少ないと言えなくもないが、こうして中軸の役者がしっかりとしているので、作品全体の構造が揺るがない。主役も張ってきている俳優だが、脇に回りバイプレイヤーとしても個性を発揮する存在でもある。こうした経験によるものなのか、実に上手くアンサンブルに溶け込んでいるのだ。これは、持って生まれたセンスによるところが大きいのではないだろうか。

 


 シェイクスピア独特の装飾的な言葉や比喩など、今や、日常生活で決して使うことのない台詞に困惑する役者も多いだろうが、小出恵介は、その数々の台詞に、気持ちを込め、そこから表情を作っていく。台詞に飲み込まれることがないので、今風というか、現代的な人物像が出来上がっていくのだ。台詞はシェイクスピアなのだが、今の時代の恋愛ドラマのように見えてくる。また、ちょっとした動きや表情で観客を可笑しがらせるコメディセンスも一流だ。グイグイと作品を牽引する蜷川演出に付いていこうと躍起になることなく、フワッとした軽さを醸し出すこの「在り方」は、蜷川作品の中でも特異な存在感を放つことになったと思う。





 座長のバランス感覚がいいので、実力ある脇の俳優たちも、フットワークを軽めにしながらも本領を発揮する。どの役も感情の起伏が激しく、コロコロと気持ちを変えていくスピーディーな展開の中、作品が飛んでいかないように置かれた文鎮のようなズシリとした存在感を、瑳川哲朗や吉田鋼太郎が体現する。長谷川博巳のクローディオもいい。飄々とした彼の資質が、直情的で素直なクローディオの役柄にうまく乗っかり、ジェットコースターのように気持ちがアップダウンしていく様がとても可笑しい。高橋一生は才気煥発のビアトリスを逞しく演じ、月川悠貴演じるヒアローは大人しく控えめに事の成り行きを見つめていく。



  最後には事の顛末が全て明らかになり、悪事を仕掛け逃亡していたドン・ジョンが捕らえられたというニュース飛び込んで大団円を迎えることになるのだが、このあまりにもその場その場の現象に流され過ぎな人々に対して投げかけるヒアローの冷静な視線が心に突き刺さる。彼女が一番、心に傷を負っているはずですからね。それを憂うるクローディオと、お互いを確かめ合うように見つめ合うベネディックとビアトリスに、静かにシニカルな余韻が残る。


 


  小出恵介を得て、「から騒ぎ」は見事に現代へと通じる物語へと昇華した。また、蜷川作品の中でも、一所懸命さが前面に出過ぎない、軽さが心地いい稀有な作品に仕上がったのではないだろうか。ドンドンと変化し進化していく様に、これからも目が離せない。