劇評151 

戯曲が持つ力強い批判精神を時空を越えて現代に甦らせた衝撃作。


「タンゴ」
 


2010年11月6日(土)晴れ
シアターコクーン 19時開演

作:スワボミール・ムロジェック
翻訳:米田和夫・工藤幸雄
演出:長塚圭史 美術:串田和美
ポスター/チラシ表面デザイン:横尾忠則
出演:森山未来、奥山佳恵、吉田鋼太郎、
秋山菜津子、片桐はいり、辻萬長、橋本さとし

場 :  コクーンのロビーはいたって平穏。演劇ファンが好む演目なのでしょうか、森山未来が主演であっても、会場の雰囲気にキャピキャピ感はあまりありません。会場内に入ると、既に建て込まれているセットが、舞台上にしっかりと見えています。透明なパーテーションが特徴的な、いくつかの部屋のシチュエーションが設定されているようです。美術は串田和美ですよね。
人 :  満席です。当日券も販売しているようでした。若干、立ち見客の方もいらっしゃいますね。客層はやや女性の方が多い感じがします。森山未来ファンなのでしょうかね。しかし、回りの方の話を聞いていると、演劇を良く見ている方も多いようです。

 1965年にポーランド人劇作家スワボミール・ムロジェックによって書かれた本作は、当時の社会情勢や政治思想が織り込まれた時代性の濃い戯曲であるが、半世紀近くを経た今接しても、決して古びることなく新鮮な驚きを与えてくれた。

 世の中の旧態依然とした体制の有り様や、自由を旗頭に意識改革を試みる大人たちの欺瞞に満ちた言動に対して、若者がアジテートしていくというスタイルを戯曲は取っていくのだが、その若者も体制側のシステムに組み込まれながら皆を支配していくというアイロニーや、その後に待ち構える支配の転覆に、現代社会にも通じる普遍性を感じ取っていく。その時代を改革しようと生きてきた人々は、これまでにはない自由を享受することにもなったと思うが、結局は倒そうとしていた体制側へと自らをシフトチェンジし支配する立場に納まることで、改革を推進することなく、逆に、体制を堅持し続けてきたという事実がこの作品を通して露見することになったと思う。

 この戯曲選定の絶妙さはロンドン帰りの長塚圭史にあるかと思いきや、文化村のプロデューサー氏からの提案であったというが、その慧眼には驚くばかりだ。同劇場がアーティストとの良きコラボレーションが適っていることが良く分かるエピソードだ。

 長塚圭史はこの寓意に満ちた物語を、一種の人間喜劇として描き出す。自由に生きたいともがき苦しむ登場人物たちの姿を、俯瞰した視点で冷徹に切り取っていく。そして、作品をさらに重層的に捉えていく手法として、演出家・長塚圭史が自ら舞台に登場し、作品の展開の行方を見守っていくという演出を施していく。まるで、「ベルリン・天使の詩」の、ブルーノ・ガンツのようだ。

 しかし、この提案は、本作品の美術を担当する串田和美に拠るところが大きかったようだ。演出プランにまで浸食するこの御大の知恵が、作品世界をさらに広げ、クオリティーアップを図ることに大きく貢献している。舞台美術も、また、さまざまな趣向に満ちていて刺激的だ。アクリルのパーテーションで括られた部屋3室が基本ベースで設えられているが、そのパーテーションは物語の展開に合わせて変幻自在に移動し、観る者の視点をクルクルと変えていく。また、その場に必要な椅子や、小道具などは、役者陣が出し入れしたりもする。本当に美術が演出の領域にまで、グイグイと踏み込んでいく。しかし、舞台は作り事であるという虚像を、こうしたリアルな行為で剥ぎ取っていくことが、観客の視点とシンクロしていくことにもなる。実に面白い。

 役者陣もベテラン勢が居並び、その実力を伯仲させる。森山未来は繊細さを合わせ持った青二才アルトゥルを嬉々として演じ、作品のトーンを決定付け、グイグイと物語を牽引していく。父である吉田鋼太郎の弾け具合が最高に楽しい。大人の面子や弱さや卑屈さを、まさに裸体をさらしながら体を張って表現していく。母の秋山菜津子は、使用人の橋本さとしと愛人関係にあるのだが、まるで何事もないかのような擬態をゲーム感覚で続けていく二人の滑稽な様が面白い。片桐はいりの祖母はオーバーアクションと独特の個性で異彩を放ち、辻萬長の叔父は唯一まともな常識人にも見えるが、一族に寄生した生活をしているためその場の流れに従い自己主張しないという役処をしっかりと押さえていく。奥村佳恵の恋人は、変人アルトゥルと拮抗できる個性を持ちながらも、その清楚な存在感は一服の清涼剤になっている。この家族は、まさに社会そのものを写し取った小宇宙のような在り様にも見えてくる。

 題名にもなっている「タンゴ」は最後に最後になってやってくる。この一家の中で階級の転覆が行われた後、生還したある男二人が、ラ・クンパルシータの旋律に合わせて、舞い踊るのだ。この奇怪なる支配層たちのダンスは、現在の世界状況を照射する合わせ鏡だ。戯曲が持つ力強い批判精神が時空を越えて2010年の観客に訴えてくる。この、今の世界の有様を見よと。刺激的なメッセージを掬い出し、見事に具現化することに成功した長塚圭史の才能が一際輝く作品に仕上がったと思う。