劇評161 

日本が潜在的に抱えるタブーを威勢良く引っ剥がし露見させた傑作。

南へ

2011年2月11日(金) 雪
東京芸術劇場 中ホール 19時開演

作・演出:野田秀樹
美術:堀尾幸雄 照明:小川幾雄
衣装:ひびのこづえ 選曲・効果:高都幸男
作詞・演奏監修:田中傳左衛門
振付:黒田育世 映像:奥秀太郎
出演:妻夫木聡、蒼井優、渡辺いっけい、高田聖子、
    チョウソンハ、黒木華、太田緑ロランス、
    銀粉蝶、山崎清介、藤木孝、野田秀樹

場 :  雪である。凍えそうな位かなり寒い。そんな時、東京芸術劇場は外に出ずに行けるので有り難い。雪で電車が遅れる可能性も考え、早めに池袋に着いてリブロで新刊のチェックなどをします。地下道を通って劇場に着くと、特に混雑する風もなくスムーズに入場できました。こんな日ですから皆さん厚着をして来られた方が多いのか、クロークが混雑しています。会場に入ると、既に舞台セットが組まれているのが見えています。
人 :  40〜50歳代が6〜7割位、後は20代風の若者の姿も結構見かけます。幅広い年齢層が集客できている感じです。来場者は一人の方が多いのが目立ちます。後は友人同士とか、それも、2人単位ですね。大人数での来場者はあまりいませんね。男女比は半々位かな。一般の芝居より男性比率が高いですね。男性も観に行きたい演目ということなんですね。

 思いがけず真実を突き付けられた時、人は、一瞬、どう対応してよいのか、たじろいでしまうことがあるが、本作に対する観客は、まさにそのような驚異に直面することになる。非日常の感覚が呼び起こされるようなアジテーションの洗礼を浴びる内に、身も心もドップリと劇世界に巻き込まれていくことになる。

 傑作であると思う。何故か? 感動してしまったからだ。しかし、心が揺り動かされたその理由は、観ている間は完全にアタマで理解していた訳ではないようなのだ。左脳をスルーし、右脳にダイレクトに直撃するそのパワーにあがなうことが出来ず、ただ体感することでしか舞台と拮抗することができない状態に陥っていくのだ。そういった観客の心理をコントロールしていくインパクトある表現は、整然と論理で論破するという巧みに考察された構成によって、観客の脳髄に確実にリーチする。そのアプローチが実にスリリングで、快くさえある。

 舞台となる富士山ならぬ無事山の観測所に赴任した正体不明の男のり平、火口に飛び込もうとしていた虚言癖のある女あまねを中心に物語は展開していく。無事山の噴火が近いという噂が流れることでマスコミの連中が集まり、面白いニュースネタを探し始める。そこでは、目の前にある危機よりも大儀を優先する意識や、事実を曲解して伝える報道、熱し易く冷めやすい国民性などが炙り出されていく。そして、物語は、大噴火のあった300年前や、第二次世界大戦後の時期をシンクロさせ、日本という国の本質をパースペクティブに捉えながら、切り裂いて開陳していく。

 野田秀樹は、日本が戦後の戦争責任に、きっちりと立ち向かわなかったことに言及する。それまで神格化されていた天皇が象徴へと変貌し、戦後、神の不在の状態が続くことで、日本人が本来持っていたであろう本質が、そこから失われていったという事実を突き付ける。そして、天皇が、それまで国家運営のために、いかに利用されてきたかという在り様を示していく。また、時空間をさらに遡り、日本国が天皇という存在をどのように祀り上げていったのか、その根源にまで肉迫していく。野田は、「日本は天皇を利用して、天皇詐欺を働いてきた歴史がある」と筆致し、自らが台詞としてその言葉を吐いていく。

 物語は、日本人が大陸から渡ってきた原初の頃にまで、フォーカスが当てられていく。「南へ」と、日本に下ってきた者は、一体どういう人々で、その後、どのような生き方をしてきたのか? 蒼井優演じるあまねが、白頭山が故郷なのだと語る。妻夫木聡演じるのり平は、名前も何処から来たかをも喪失した日本人。「おーい、日本人。俺は一体誰なんだ」と観客に向かって雄叫びを上げ、今を生きる日本人のアイデンティティーに強く揺さ振りを掛ける。グラグラと五感が覚醒させられ、身体の奥底に眠っていたDNAが呼び覚まされていく気がする。

 この、のり平の正体は最後まで謎のままなのだが、ラスト、兵隊帽を被ってこの場を去る姿を見て、英霊なのではないかというアクセントを付加させる。世を憂う哀しみがジワジワと襲ってくる。妻夫木聡はこの複雑な役どころを明晰な演技で清々しく表現し、共感すら誘っていく。蒼井優もまた威勢の良い啖呵が似合うあまねの強さと、そして、儚さとを融合させ美しく輝いている。渡辺いっけいが平和ボケした日本人をシンボリックに演じ、チョウソンハは正論は通るのだという妄信に取り付かれた若者像を体現していく。

 スタッフワークも素晴らしく、目で見て、耳で聞いて、美しい舞台に仕上がっている。野田演出も、20名以上の人物を駆使して、ある時は群がるマスコミ、また、ある時は農村に住む住民であったりと、社会的なバックボーンをきっちりと構築し表現していくため、絵空事にさらなるリアルさが加わり、作品が重層的に深さを持ち得ることになる。また、スピーディーな展開が、この複雑な話に勢いを盛り込み、飽きさせることなく物語を紡いでいく。

 野田秀樹は相変わらず、挑戦的に観客に発破を仕掛けてきた。語り口は他に類するものがない独特のスタイルで、発せられるメッセージはヒリヒリと刺激的で、日本が潜在的に抱えるタブーを威勢良く引っ剥がし露見させていく。現状維持を標榜する輩に、鉄槌を喰らわせるような苛烈なパンチを浴びさせていく。今、この日本において、一体何を信じて生きていくべきなのかについてひしと考えさせられ、そのことが呪縛となって頭からこびりついて離れない。衝撃度から言っても、正直、抜きん出た逸品であると思う。