劇評168 

三谷幸喜が氏の原点とも言うべき、ハートウォーミングな“愛”を紡ぎ上げ秀逸。

「ベッジ・パードン」

2011年6月11日(土) 小雨
世田谷パブリックシアター 18時開演

作・演出:三谷幸喜
美術:種田陽平 照明:服部基 衣装:伊藤佐智子
出演:野村萬斎、深津絵里、大泉洋、浦井健治、浅野和之

 

場 : 劇場ロビーは、飲食する人もなく、いたって静かな感じです。パンフレットが1000円で発売されているのですが、全額義援金として寄付されるとのこと。「トップ・ガールズ」の時もそうでしたが、シス・カンパニーが企画・製作を行う公演は、このようなシステムを取っているようですね。また、シス・カンパニー公演は、演目に応じて、しっかりと上演期間が取られているので(本作は2カ月)、人気の演目でも何とかチケットが入手できるので有り難いです。会場内に入ると、緞帳は1900年当時のロンドンの古地図になっています。

人 : 満席ですね。2階席、3階席に立ち見の方がいますね。最近の芝居の観客層と同様、本公演も総体的に年齢層は高めな感じです。若い人は、1万円近いお金を出して、芝居を見るということは、もう、習慣としてないのでしょうかね。また、三谷作品は、男性比率がいつも高いです。

 本作「ベッジ・パードン」は、夏目漱石が1900年から1902年の間、ロンドン留学していたある時期に焦点が当てられた物語である。そこでは、「ベッジ・パードン」というあだ名を付けた下宿先の女中との出会いから別れが描かれると共に、漱石が作家としてデビューするまでの軌跡や、異国の地で異邦人が感じる葛藤など、あらゆる感情的な要素が盛り込まれている。

 ここのところ、人間の暗部に分け入るアプローチが多かった三谷作品であるが、本作はソフィスティケートされたラブストーリーで、かつて東京サンシャインボーイズの頃に創作されていたような作品群を彷彿とさせられる。しかし、作品の中にはあらゆる趣向が詰め込まれており、そこはやはり一筋縄ではいかない様相を呈している。

 まずロンドンのおける異邦人を描く際に、作家として最も気になるのは“言葉”の問題であろう。三谷幸喜はその問題をクリエイティブの一つの要素として、物語の中に完全に取り入れてしまう。

 まず、冒頭のシーンで、野村萬斎演じる漱石と浅野和之演じる下宿先の主人との会話は英語で交わされるのだが、「観客の鑑賞の妨げになるので、英語の台詞を日本語で上演します」とのアナウンスが入り、台詞は日本語へと変換する。笑いが起こる。そして、漱石は、日本語で話される普通に交わされているはずの英語の台詞が、あまり理解できていないという態度を示していく。この姿が、また、可笑しい。

 そして下宿者に大泉洋演じる日本人がいるのだが、「日本語で話そう」と懇願する漱石に根負けして、日本語を話し始めると、その相手はなんと東北弁。だから英語のままが良かったのだと大泉洋が嘆くのだが、この趣向で、新たな笑いが生み出されていく。また、深津絵里演じる女中と、やくざものの弟を浦井健治が演じるが、二人は同郷にも関わらず、姉だけ極端に訛りがあるところも面白い。多分、この二人のこれまでの生き様のサイドストーリーは、きっと三谷の中にあるはずに違いない。

 もう一人、浅野和之はなんと11役も演じ、観客を多いに沸かせてくれる。早替わりの驚きと、次はどんな役で出てくるのかという期待感が作品に良い意味での緊張感を与えていく。そして、同一人物がこれだけの役をやるという意味が、ただ面白いを狙っただけではなく、作品内容に確実にリンクしているところが凄い。漱石は言う。「イギリス人が皆同じに見えてしまうんだ」と。こう落とし込んできたのかと、心に中で快哉を叫んでしまった。

 ストーリーは、海外で一人ぼっちで暮らす漱石と、故郷を離れ孤軍奮闘する女中との間に、恋愛関係が生まれてくるという物語が紡がれていく。そこに、ビクトリア女王の逝去や、女中の弟が銀行強盗を企てるというエピソードなどを挟み込みながら物語は進んでいく。しかし、下宿先の夫婦の離婚により皆が下宿を出ていかなければならなくなったことや、銀行強盗計画が頓挫した弟が抱えた借金のかたに女中が水商売の道を次なる生き方として選んだことで、二人は離れ離れになってしまうことになる。異国の地に咲いた愛は、現実を前に、あがなえなくなってしまうという悲恋。キューンと胸が締め付けられるような展開だ。

 処女作「吾輩は猫である」を執筆するに至る端緒などを描き、漱石が作家としてデビューする予感を感じさせながら物語は締め括られる。若さゆえの、希望に満ち溢れているからこそ持ち得ることが出来る未来の可能性が、甘酸っぱくもキラキラと輝いて見える、その時期特有の初々しさに感じ入る。種田陽平の繊細なタッチの美術が、作品にさらにふくよかなリアルさを付け加えていく。本作は、三谷幸喜が氏の原点とも言うべき、ハートウォーミングな“愛”を紡ぎ上げ秀逸である。