劇評175 

俳優の生身の感情を吹き込むと、戯曲がムクムクと甦る様を目の当たりに出来る。

「アントニーとクレオパトラ」

 

2011年10月2日(日) 晴れ
彩の国さいたま芸術劇場大ホール 13時開演

作:W・シェイクスピア
演出:蜷川幸雄
出演:吉田鋼太郎、安蘭けい、池内博之、
    橋本じゅん、中川安奈、熊谷真美、他

場 :  ロビーには贈られた花が沢山飾られていて、華やかで賑やかな雰囲気です。劇場内に入ると、緞帳が定式幕になっていて、ちょっと驚きます。そして、幕の中央には大きくW・シェイクスピアのモノクロの顔が切り抜かれています。日本発のシェイクスピアというコンセプトが、ストレートに伝わってきます。本公演は、韓国公演もあるんですよね。そのことも照準に入れているのでしょうか。

人 :  満席です。客層は、総体的に年齢層が高めです。50歳代がアベレージでしょうか。男女比は半々位かなという感じです。演劇も見慣れた人が多いようです。皆さん、落ち着いて開演を待っています。

 あまり上演される機会のない「アントニーとクレオパトラ」だが、その理由が分かるような気がした。目まぐるしく変わる場面、40場位はあるだろうか。舞台となる国も、イタリア、エジプト、ギリシャなどが混在していく。故に、ストーリー展開が散逸していく。また、登場人物たちは、実に主観的にというか、自らの思いのたけを叫び、訴え、疾走していくため、物語はますます混迷を極めていく。非常に、料理のし難い素材なのだと思う。

 しかし、優秀な俳優たちが戯曲の登場人物に息を吹き込み、其処此処へと展開していく物語を視覚的にも分かり易く見せていく演出などが合体すると、中年男女の痴話喧嘩、上官に対する部下の憤り、対抗する武将たちの虎視眈々とした腹の探り合いというような、生身の人間の情熱や嫉妬や葛藤など、狂おしいまでの心の叫びがストレートに伝わることになるのだから面白い。本作は、歴史上の人物たちも1個の悩める人間なのだなというリアルさを感じさせるような魅力を、戯曲の中から掬い出し、提示していく

 場面が、今、何処であるのかを見せていくために、シンボリックな装置が登場する。雌狼とロムルスとレムスの像はローマ、スフィンクスやアヌビス像はエジプト、メドゥーサの頭と3本の足を持ったトリナクリアはシチリアといった具合に、目に飛び込んでくるシンボルが場面が変わる度に登場するため、話の展開に付いて行き易くなる。アントニーは、エジプトにもローマにも登場する訳なので、これは有り難い。シンプルだが、遺憾なく効果的を発揮していると思う。

 戯曲世界を見た目に分かり易く、どんどんと細かな様々なエピソードが重ねられていくため、本作は、まるで漫画のページを捲っていくかのような軽妙な疾走感が生まれてくる。兎に角、スピーディーに物語が展開していくので、その勢いに観客の気持も牽引されていくことになる。

 その奔流のように展開する物語の流れの中において、毅然と立ち続ける俳優たちの洒脱な感性が、作品世界にふくよかな芳醇さを付加させていく。深刻なアプローチをし過ぎることなく、役柄を弄んでいるかのような嬉々とした仕事振りに、観ているこちら側も楽しくなっていく。悲劇的な展開を見せていく内容なのではあるが、それもひとえに人間の成せる技なのだと、ついつい納得させられてしまう説得力が、役者陣にはある。

 吉田鋼太郎は、アントニーを歴史上の英雄としての側面だけで捉えるのではなく、恋と戦闘の狭間に揺れる一人の男の心情を抽出していく。そして、現代の観客の生活感と共通するあまり乖離し過ぎることのない感情表現で、古代ローマに生きた人物を造形していく。本人は懸命に生きているのだが、傍から見ればその一途な思い込みは実に滑稽な光景に映るという、人間が持つ多面性を描いて秀逸である。

 橋本じゅんが、存在感あるイノバーバスを造形する。下層階級出身なためなのか出世欲が高く、また、自分がどう立ち回ると有利なのかと目先のことばかりを優先する、小賢しい奴とも捉われがちになる役どころかもしれないが、その逡巡が表層的ではなく、内なる叫びが行動に繋がっているのだということが見て取れて面白い。リアルに怒り、出し抜こうと思い、そして最後は情にほだされ後悔するという、一人の男の生き様を愛おしく活写する。

 安蘭けい演じるクレオパトラには、女王たる気品が漂い、周囲を圧倒するような威厳も備わっている。但し、アントニーのことが好きで仕方がない、その思いがストレートに伝わり、クレオパトラの女の側面が垣間見えて可愛いらしい。

 池内博之は初代皇帝となるオクテヴィアス・シーザーを、勇敢で知性的な人物として作り上げ、とかく感情的な人物が多い中、安定した揺るがぬ存在感を示していく。中川安奈は出番が少ない役どころではあるが、時代に翻弄される一人の女の哀しみを浮き出させていく。熊谷真美は、どんなことがあってもクレオパトラをしかと支える思いが伝わり、けなげさが滲み出る。

 登場人物のストレートな感情が渦巻く戯曲の特徴を掴んで、俳優陣が言葉の奥に潜む思いを掬い取るっているため、ローマ史劇としてではなく、人間ドラマとして成立しているところが面白い。俳優が生身の感情を吹き込むと、戯曲がムクムクと甦る様を目の当たりにすることで、演劇とはかくあるべきという姿を見た気がした。