劇評177 

町に生まれ、町に生き、そして死した男たちのレジェンドを描いた秀作。

「あゝ、荒野」

2011年10月30日(日) 晴れ
彩の国さいたま芸術劇場大ホール 18時開演

原作:寺山修司 脚本:夕暮マリー
演出:蜷川幸雄
宣伝写真・劇中写真提供:森山大道

出演:松本潤、小出恵介、勝村政信、黒木華、
   渡辺真起子、村杉蝉之助、江口のりこ、
   月川悠貴、立石凉子、石井愃一、他

場 :  旬のトップアイドル、嵐の松本潤が主演とあって、会場の雰囲気もやや紅潮した華やかな空気感です。ロビーにはズラリと花が並びますが、撮影は禁止とのこと。劇場内に入ると、素舞台の上で、出演者が思い思いの格好で、自主練習をしています。また、劇場通路からは、ポツポツと出演者が普段着で大きなバッグを背負いながら劇場入りしてきます。蜷川さんに扮した井出らっきょが可笑しい。「ガラスの仮面」と同様の設定です。

人 :  超プラチナチケットですもんね。もちろん満席です。が、若干だけ空席があります。高額なため売れ残ってしまった席なのでしょうか? 1階席の最後方に1列パイプ席が置かれ客席となっています。当日券席なのでしょうね。客層は女性6割、男性4割といったところ。アイドル目当ての女子が殆どなのかと思っていたので、少し意外でした。

 舞台上で素のままの在り様で身体をほぐしていた役者陣が、次第に一つの集団となって群舞を舞い始める。現在、この時間に、この場所に居る役者と観客が、ギュッと一つの空間に集約されるような求心力が働き、観客は舞台上の俳優に誘われて作品世界へと没入していく。天空からは、夥しい数の店頭サインのネオンが降りてくる。すると、そこには、混沌とした猥雑さが香る架空の昭和の町・新宿が現出することになる。時計の針は、1960年代へと振り戻される。時空が一気にワープする見事な幕開けだ。

 小出恵介演じるバリカンが娼婦を買い、寂れたホテルへとしけこむが、バリカンは虚空を見上げながら己の真情を吐露し、決して“こと”に至ることはない。その同じ場所に、松本潤演じるムショ帰りの新宿新次が女を連れ込み、先に居た二人は箪笥の中に隠れるが、この2組のカップルは同じ時空間を共有していないことが分かってくる。どうやら、バリカンと娼婦は、彼岸に逝った者のようなのだ。バリカンが過去の思い出を回想する中、新宿新次は町へ出ることになるが、そこでその二人が初めて出会うことになる時空へと、場は変転していく。現在と過去とが、溶け合う瞬間だ。

 60年代当時の過激なアジテートが展開していくのかと思いきや、当時を懐かしく愛おしむような、ノスタルジーに満ち溢れたこの上ない優しさに作品は包まれていていく。蜷川幸雄が60年代を追想する視点は、甘酸っぱい雰囲気を湛えた、メランコリックで詩的な世界観に収焉していく。誰もが知る胸がキューンとするような痛みや哀しみが、観る者の昔日の思い出をオーバーラップさせ、共感を絞り取っていく。

 二人はひょんなことから勝村政信演じるボクシングコーチと出会い、ボクシングジムの門を叩くことになる。静と動。正反対とも言うべき二人であるが、盟友として、良きライバルとして、お互いがお互いを認め合いながら、いつしか友情を育んでいくことになる。

 物語は、別の切り口から、“死”を侵入させていく。早稲田大学自殺研究会のメンバーたちが、刷毛でスッと塗り上げるように、死の匂いを振りかざしていくのだ。自殺する者を見つけ出し、その末路を見届けたいと願うディレッタントたちは、獲物たちを模索する中、キラキラと生を放つ新次に遭遇し、気になる存在として惹かれていくようになる。精一杯日々を生き抜いている新次の意識の根底に、“エロス”“タナトス”が共存していることを、鼻で嗅ぎ分けたのであろうか。表裏一体を成す新次とバリカンとの間にゆるりと“死”が忍び込み、運命の歯車が狂い出す予感を放ち始める。

 松本潤は、その存在感が圧巻だ。新宿新次を演じることを超越して、新宿新次そのものを生きている気さえする。身体の内から滲み出るパッションが作品に色濃く投影され、静謐な作品世界に過大な熱量を放出していく。

 小出恵介は、寺山修司の詩を吟じる氏の代弁者とでも言うべき存在だが、彼岸との間を行き来する繊細な均衡で保たれた役柄の意思を汲み、実に丁寧にバリカンを紡ぎ上げていく。透明感ある存在がクッキリと心象に残っていく。

 自殺研究会の、杉村蝉之介と江口のりこの淡々とした語り口が印象的だ。作品の軸となるパッショネートな男たちの動向を、逆方向に引き戻すようなパワーを放ち独特だ。また、勝村政信の、ほんの一瞬で観客を笑わせ、ジーンとさせる洒脱な手腕には毎回恐れ入る。作品に温かなふくよかさを付加させていくのだ。黒木華の影ある可憐さや、渡辺真起子の媚びない色香が、女の多様性を提示していく。

 バリカンは新次と闘いがために、別のジムに移り、二人はリング上で真っ向対決を果たすことになる。既に開幕のシーンでバリカンの末路が種明かしをされているため、観る者はその予定調和な展開を知りながら、物語の行方を固唾を呑んで見守ることになる。

 二人は四角いジャングルで熾烈な戦いを演じていく。そして、ジャブを繰り広げる二人の背景に、ワーグナーの「ローエングリン前奏曲」が流れ始めるのだ。美しい! ただただ美しい! これはもう“至福”以外の何ものでもない。

 最後、朽ちたバリカンを抱えながら、新次が慟哭の叫び声を上げていく。静かにリングの周囲はネオンに囲まれていく。町に生まれ、町に生き、そして死した男の、男たちのレジェンドが幕を下ろすことになる。そして、観る者の意識は冒頭へと輪廻する。死す者は、今なお生き続ける者たちを、彼岸から温かく見守っているのだということを、しかと胸に刻み込むことになるのだ。秀作であると思う。