劇評187 

2012年の現代日本の意識とピッタリと重なる作品に仕上がった傑作。

「シンベリン」

2012年4月7日(土) 晴れ
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
18時30分開演

作:W・シェイクスピア
演出:蜷川幸雄
出演:阿部寛、大竹しのぶ、窪塚洋介、勝村政信、
  浦井健治、瑳川哲朗、吉田鋼太郎、鳳 蘭、他

場 :  劇場内に入ると既に幕は上がっており、役者の皆が舞台上に設えられたメイク・ルームで出番待ちをしているという設定になっている。メイクをしたり、衣装を着けたり、台詞の練習をしたりと、それぞれがリラックスした面持ちで過ごしている、という体だ。

人 :   会場はほぼ満席状態です。客層は総体的にやや高めであるが、20〜30歳代の方の姿も見受けられます。また、一人来場者が多いような気もします。。

 舞台に造られた仮設の楽屋では、役者がそれぞれ寛いだ姿を見せている。開演5分位前になると、主要な役者たちも登壇し、和やかに談笑する光景が繰り広げられる。そして、開演時間になると皆が一斉に立ち上がり、舞台前面に一列に揃って、観客に向けて一礼を行うのだ。ここで、観客は役者たちにやんやの喝采を贈ることになる。

 楽屋のセットなどがはけると、ローブを纏った主要な役者たちがそこに残ることになる。そして、役者の後ろに控えた黒子たちがそのローブを一斉に剥ぎ取ると、西欧の衣装を身に付けた姿へと変貌を遂げていく。この早替わりで、一気に時空は現代から、観客を「シンベリン」の時代へと誘っていくことになる。見事な幕開きだ。

 「シンベリン」は、シェイクスピアが描いてきた様々な要素が紡ぎ合わされた、まるでゴブラン織りのような作品だ。少々無理な展開かなという向きもあろうが、そんなことは大きな運命の渦の中に巻き込まれてしまえば大して気になることではない。いや、実際に生活していく中では、出会う人や、ぶち当たることなどに関して、私たちは、意外にも、それ程、緻密に検証をしたり、考察したりなどしていないのではないのかと、本作を観て気付かされることにもなる。

 客観的に見ると、もっとしっかり確認した方がいいんじゃないの?とか思ってしまう展開でも、当事者の身になってみれば、結構、思い込みが先行して、本作の登場人物たちのような行動を実際は取ってしまうかもしれないなと感じ入る。そういった視点で作品を観ると、本作の破天荒な物語展開にも、結構、合点がいってしまう。シェイクスピア、恐るべしである。

 「ロマンス劇」というジャンルに括られる本作は、家族の離散、そして、陰謀、嫉妬、誤解、確執など、あらゆる困難が登場人物たちに襲ってくるのだが、それを乗り越え、赦し、和解するという波乱万丈な展開を示していく。次々と物語の駒が進められていくのだが、そこで起こる出来事にリアリティーを持たせるのは、この居並ぶ実力派スター俳優陣に他ならない。このキャストたちが、登場人物たちに見事に生命を吹き込み、その時代を生きたであろう人々を甦らせていく。

 阿部寛が妻の不義への疑いに逡巡する様を明確に演じきる。大竹しのぶはピュアさや哀しみに沈む思いを滲ませ、揺れ動く感情を繊細に紡ぎ合わせていく。窪塚洋介の悪漢の役どころが実にいい。表裏ある曲者の捻くれた感情を色香を振り撒きながら演じ、独特のオーラを放っていく。勝村政信は、明解にコメディー・リリーフに徹し、作品に大きなアクセントを付加させていく。

 鳳蘭の貫禄が作品に重厚感を与え、吉田鋼太郎の滲み出る人間臭さが、舞台を見つめる観客との間に共感性を生み出していく。瑳川哲朗の優しい素養が、その役どころに説得力を与え、浦井健治の溌剌とした若さが次代へとつながる未来の予感を体現していく。

 様々な紆余曲折を経て、物語は大団円へと終焉していくのだが、津波の音響が鳴り響いた後に舞台中央に出現したのは、あの“一本松”だ。2012年に日本発信で創られた本作の意義が、その一本松に集約されていくことになる。大いなる意思と決意を持って、全ての出来事を赦し、そして、生きていくのだという熱いメッセージがズシリと胸に落ちていく。傑出した表現だと思う。

 ロンドンで行われる「ワールド・シェイクスピア・フェスティバル」での上演も視野に入れているためか、ブリテンの場面の背景は水墨画風であり、ローマのシーンでは源氏物語の「雨夜の品定め」の大和絵などが設えられるなどジャパネスクな要素も存分に取り入れられている。また、振り落としなど歌舞伎の手法なども盛り込まれ、音響も笛や鼓や琵琶の音色が奏でられると、日本文化が鮮やかに際立つ演出が施されている。蜷川幸雄が随所に仕掛けた様々な技が、全ての局面で見事に昇華していく。

 ラストシーンでは、登場人物たちがそれぞれにこれまでの経緯をこと細かに語っていくのだが、そんな長尺なシーンも決して苦にはならない。一本松を前にすると、運命の流転には耳を傾けるしかないという強烈な説得力が放たれていくからだ。全ての誤解が解けるこのシーンは、忘れることが出来ない光景として目に焼きつくことになった。役者陣も鉄壁に、あらゆる手法を駆使した演出も見事に開花した「シンベリン」は、2012年の現代日本の意識とピッタリと重なる傑作に仕上がったと思う。