劇評195 

井上ひさし戯曲の粋を実直に掬い出した、誠実な仕上がりの佳品。

「しみじみ日本・乃木大将」

2012年7月15日(日) 晴れ
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール  13時30分開演
作:井上ひさし
演出:蜷川幸雄
出演:風間杜夫、根岸季衣、六平直政、山崎一、
    大石継太、大川ヒロキ、朝海ひかる、香寿たつき、
    吉田鋼太郎、他

場 :  ロビーには出演者やスタッフに贈られた花が賑々しく立ち並んでいて、とても華やかな雰囲気を醸し出しています。ロビーに佇む来場者はいたって落ち着いた雰囲気。劇場内に入ると、舞台には定式幕の緞帳が掛かっています。

人 :   ほぼ満席です。客層の年齢層はとても高めです。60歳代がアベレージなのではないでしょうか。比較的チケットが取り易い演目でしたので、シルバーの方もゲット出来たのかもしれませんね。ご夫婦での来場者が多い気がします。穏やかな空気感が劇場内に漂います。

 実に誠実な仕上がりといった印象の本作は、井上ひさし戯曲の粋を実直に掬い出し、思い切り役者がその世界で転げまわり、楽しみながら演じている姿をタップリと堪能できる贅沢さに満ちている。

 蜷川演出はいつもの外連味ある仕掛けに拠ることなく、孤高に輝く戯曲を、信頼出来る俳優陣にしっかりと委ね、井上ひさしが描きたかった世界を正確に現出させることに集中している。力量ある役者の肩の力の抜き加減が絶妙で、笑いを振り撒きながらも、乃木将軍の心根の奥底を探っていくことになる。何故、乃木将軍は明治天皇が大葬の日の夕刻に殉死したのかと。

 乃木将軍の愛馬3頭と、近所の雌馬2頭とで、その“謎”を解き明かしていこうという井上戯曲のその設定自体に、まず度肝を抜かれる。前足と後ろ足とで1頭の馬が成立しているため、10人の役者が馬の足を演じることになる。敢えて仕掛けを要さなくとも、戯曲の中に他には類のない様な仕掛けが既に施されている訳なのだ。この可笑し味をいかに伝えていくことが出来るかどうかが、作品の仕上がりの大きなポイントになってくるが、本作はその命題に対して真摯に臨んでいく。

 前足と後ろ足とが、それぞれ自分の方が偉いのだということを、唱歌の替え歌にのせて丁々発止するような、決して大上段に構えることない塩梅で、物語は進んでいく。花いちもんめを嬉々として演じるベテラン役者たちの、この無邪気さと言ったら。思わず頬が緩み、観ているこちらまでもが幼少の頃にタイムスリップしたかのような感覚におちいっていく。

 しかし、ここで取り上げられている歌たちは、最近、とんと聞かないものが多いなと感じ入っていく。こうした庶民の文化は、次代へと受け継いでいかなければならないのだという意識をしっかりと持ち合わせていなければ、途絶えてしまうかもしれないという危機感を感じた。井上ひさしの戯曲がある限り、この歌唱は受け継がれていくことになる訳であるが、戯曲には文化を継承するという役割があることにも気付かされることになる。

 馬たちは時に人間ともなって、乃木将軍の側近たちを演じることで、物語は重層的な展開を示していくことになる。その辺の、役柄の憑依具合は、百戦錬磨の役者たちにとって果敢に挑戦しがいのある山であったのではないだろうか。

 風間杜夫は乃木将軍と前足を演じるが、重厚さの中にも軽妙な味わいを残しながら、きっちりと乃木将軍の逡巡する想いを伝えていく。後ろ足で風間杜夫とコンビを組む吉田鋼太郎は、コミカルな資質を全開させ、機敏な動作や洒脱な台詞廻しで観客を湧かせる。根岸季衣が演じる乃木将軍の妻と前足は、軽妙さの中にもほっとする優しさを滲ませる、ソフトな雰囲気が心地良い。

 六平直政と山崎一のコンビが絶妙だ。お互いが口喧嘩を仕掛け合いながらも、その駆け引きは一種の“芸”の領域にまで達していたと思う。絶えず、可笑しいのだ。朝海ひかると香寿たつきも、また、素晴らしい。馬の他に、それぞれ児玉源太郎と山県有朋を演じるのだが、宝塚風にと戯曲に指定があるように、出自の技術を最大限にカリカチュアライズして自嘲気味に振舞う、その様子が観客に大受けだ。重鎮の中において、大石継太と大川ヒロキは作品にフレッシュな感覚を持ち込むことになった。

 天皇の連帯旗を守ったという人物像を生涯生き抜いた乃木将軍が、天皇の大葬と共に死すことで、時代に大きな区切りが付けられたという感を強く抱く。かつて起こった出来事やその時代を生きた人々の想いを受け継いでいくことの大切さを噛み締めながら、井上戯曲の面白さに酔うひと時を過ごすことが出来た。