劇評204 

俊英映画監督が、演劇というジャンルを超えた、新たなステージの在り方を誕生させた。


 「悼む人」

2012年10月23日(火) 曇り
PARCO劇場  19時開演


原作:天童荒太 脚本:大森寿美男 演出:堤幸彦
出演:向井理、小西真奈美、手塚とおる、真野恵里菜、伊藤蘭

  

場 :  劇場階でエレベーターを降りると、当日券の方々が沢山待っています。旬の向井理が主演の舞台なのに、東京が14公演とは、観たくても観ることの出来ない人はきっと大勢居るでしょうね。また、本公演は、東京以外を10カ所も巡演するんですよね。観たいと思っても、あまり舞台と縁のない方々が、舞台と接する機会が広がることは、とても良いことだと思います。

人 :  満席です。平日ということもあり、仕事終わりで駆け込んで来る人も多いですね。年齢層のアベレージは40歳代位でしょうか。業界関係者の方も多い感じがします。男女比は半々位。皆さん、演劇を観慣れた感じの雰囲気です。静かに開演を待つことになります。

 天童荒太の静謐で研ぎ澄まされた世界観が、一体どのように舞台化されるのかという点に於いて興味の尽きない公演である。エンタテイメントに仕立て上げるには、深く重い題材であるのだとは思うが、その難題に挑んだ結果、「悼む人」の核に存在する真情を見事に掬い上げ、観客の想いと共鳴させることに本作は成功したと思う。

  小説に登場する多くの人物たちを、舞台では5人に絞り込むことによって、観る者の集中力を高める効果を狙うことになるのだが、そこで採られる手法が、また、独特なのだ。まるで朗読劇のように、心の内底に沈殿した心情や、想い描いている情景を、皆が吐露していくのだ。勿論、シーンを同じくする者同士の会話はあるのだが、どの場に於いても皆、自らの心根を確かめながら、心の内に芽吹いた想いを照射するが如く、とつとつと語り合っていくことになる。

 そこに、細野普司が撮り下ろした写真や、演出家・堤幸彦自らが制作した映像が挟み込まれることで、登場人物たちが語るバックグランドが、よりクッキリと視覚化されて舞台上に現出していくことになる。個々の哀感が、舞台上から染み出してくる。

 亡くなった人を悼むために全国を行脚する主人公静人の在り方自体が、もはや、死がある意味消耗されているかにも思える現代社会に対する大いなる警鐘を放っているのだと思う。物語は、死にフォーカスを当てることにより、逆に命というものに対して真摯に向き合うという視点を獲得していく。舞台の創り手たちも、静人の生き方にピッタリと沿うように、静人の行動を追いながら生命の残り香を感じ弄っていくことになる。 

 物語の中軸に立つ静人は求心力ある存在感を放っているのではあるが、寡黙にひたすら行脚を続けているという行動から、彼の本意を見て取るのが難しい。そこは小説に習い、彼の行動にどのような影響を受けたかということや、過去の出来事を遡ることで、静人の行動の起因を炙り出していくことになる。そうした真意が少しづつ露見していく様は、サスペンスの様相すら帯び、スリリングである。

 向井理が静人を演じるが、死を悼むという行為を続ける行動が違和感なく自然に感じられるのは、演じる技量の高さにもよると思うが、彼自体が静人になりきっているような感じがするためであろうか。役柄を自分に引き付ける役者だと思っていたが、自分が役に取り込まれていくタイプなのかもしれない。その資質が、自然と観る者に共感性を醸成させていくことになる。

 舞台経験も豊富な小西真奈美は、静人と行動を共にする前科ある女を演じるが、その透明感ある存在感と涼やかな声音などが響き合い、陰惨な出来事に対峙したとしても、その全てを純化させてしまうようなオーラに包まれている。彼女の佇まいが、作品に軽やかな温かさを付加させていくのだ。

 手塚とおるは、人に暗部に斬り込むジャーナリストを演じるが、静人と出会い、それまでの斜に構えた生き方を是正していくことになる。粋がった気勢はものの見事にへし折られ、生きることに殉じていく変化のプロセスをナチュラルに演じ観客の心を掴んでいく。また、悲惨な状態の中からでもユーモアを掴み出していくセンスに、ホッと胸をなで下ろさせるような温もりも感じさせていく。冷徹な男の中から、魂を掬い出す、そのアプローチが心地良い。

 真野恵里菜はベテラン勢の御仁の中において、穢れのない純粋な静人の妹としてオアシス的な存在感を示していく。また、次の世代へと魂を橋渡しする重要な役割も担っており、物語を収焉させていく可憐さに満ちている。

 伊藤蘭は静人の母であり、末期の癌を抱えた病人でもあるのだが、常に前向きに生きるその姿が神々しい。また、駄洒落を連発して場を和やかにさせるその優しさが、病の哀しさを一際立たせていく。死するその直前までも、精一杯生きるその姿を見て心が洗われるような想いがした。

 この独特な世界観を現出させ、原作の魂を掴み出した堤幸彦の手綱捌きは傑出している。装置や照明なども堤幸彦流に駆使され、従来の演劇公演とは、その効果を異にする趣向を展開させていく。また、心の通低音ともいうべき調べを、チェロの響きを呼応させる絡ませ方も粋である。

 俊英映画監督が、舞台という別の世界で、演劇というジャンルを超えた新たなステージの在り方を誕生させた。そのクオリティーは高く、かつ、深いメッセージ性をも叩き突けてくる、そのチャレンジングな意気がまた素晴らしく、ズシリと心に残る逸品に仕上がった。