劇評207 

現代を映し出す、緊迫感溢れる秀逸で稀有な逸品。


 「トロイアの女たち」

2012年12月15日(土) 曇り
東京芸術劇場プレイハウス  18時開演




作:エウリピデス 演出:蜷川幸雄
出演:白石加代子、和央ようか ほか
日本人俳優+イスラエルのユダヤ系俳優,アラブ系俳優

  

場 :  蜷川氏が東京芸術劇場で作品を上演するのは珍しいが、このプロジェクトが東京芸術劇場とテルアビブ市立カメリア・シアターが共催しているということが所以のようですね。4年越しのプロジェクトだということです。野田秀樹氏が芸術監督になってから、同劇場の演目は、俄然、面白くなりました。

人 :  ほぼ満席です。年齢層や客層は実に様々です。また、必ずしも演劇通の方々という訳でもなく、話を聞いていると、久し振りの観劇という人もいるようです。終演後、劇場エントランスに、きちんと列を成して並んでいる方々がいました。和央ようかさんのファンの宝塚式お見送りなのでしょう。

 日本人、イスラエル国籍のユダヤ系、アラブ系の俳優たちが同じステージに立ち、戦いの犠牲となった女たちを描くギリシア悲劇「トロイアの女たち」を演じるというこの企画そのものがテーマであり、今、演じられるべき意味を観る者に叩き付けてくる。

 2012年11月14日、イスラエル軍がガザに空爆を行い紛争が激化するという事態となった。1週間後に合意に至ることになるのだが、まさにリアルタイムに起こった出来事と本作とが二重映しとなる様な“現実”を乗り越え、上演にまで漕ぎ着けたのだという軌跡を思うと、心に込み上げてくる熱い感情を封じ込めることは出来ない。

 現実とシンクロしてしまった本作の上演は、奇しくも当初目論んでいた意図を凌駕してしまったのではないだろうか。ライブ・メディアである演劇の特質を、グッと浮かび上がらせることにもなった。

 本作では、コロスが各国の言語で台詞を語るという手法を取るが、こういう演出は初めて観た。日本語、ヘブライ語、アラビア語の順で言葉は放たれ、俳優が内包する感情をそれぞれの在り方で表現していくのだ。女たちの慟哭が多面性を持って表現されていくため、各国の女たちが抱えた思いが舞台上でクロスし、哀しみが増幅していく。

 コロス以外は、自国語で台詞が語られるため字幕が入るのだが、混在する言語をそのまま提出することこそが、今の世界をそのまま体現することに繋がっていく。

 物語の中軸に立つトロイアの王妃ヘカベを演じる白石加代子が圧巻だ。女たちの哀しみを一身に受け止め、襲い来る悲劇を怒りと熱いパッションとで跳ね返すパワーを全開させる。また、腰を落とし滔々と詠唱する様式性ある表現が、神を仰ぎ天空へと放つ思いにスケール感を付与させていく。想いを伝える技術が秀でているため、感情だけに流されることなく、物語の枠組みをもクッキリと透かし見せていく。

 アンドロマケを演じるラウダ・スリマンが圧倒的な存在感を示す。幼い息子を引き離される母の哀しみを気品を持って演じきる。カッサンドラを演じるオーラ・シュウール・セレクターは達観した視点を保ちつつ、決して市井の人々と相まみれることのないアプローチで予言者の悲哀を滲み出させる。

 タルテュビオスを演じるマフムード・アブ・ジャズイは強健な中にも慈愛を沁み込ませ、この男の人間的な側面をフューチャーしていく。メネラオスを演じるモティ・カッツは男の弱い部分を抉り出すが、哀しみに陥ることなく軽快さを保ちつつ壮健な存在感を示していく。

 和央ようかの演じるヘレネは、戦争の原因ともなった稀代の悪女ともいえる役どころだが、自分を否定することのない堂々とした佇まいに説得力を欠く気がした。スリムな体躯は男を翻弄する魅力に満ち満ちてはいるのだが、男を手玉に取る女の妖気さがもっと欲しいと感じた。

 物語後半で、「地震が街を崩壊させた」との台詞のドキッとした。トロイアはギリシア軍が放った業火で焼き尽くされることになるのだが、そこに蜷川演出は、津波の音を被せてくる。紀元前の悲劇の物語と現代の悲劇とがぴたりとリンクする。

 カーテンコール。国を違える俳優陣が、同じステージで観客に向かい挨拶をする現実の光景が、物語世界を上回る感動を与えてくれた。この人々が共同で一つの作品を創り上げ、共に同じステージに立っているという、ある種の奇跡に涙してしまう自分がいた。演劇を通じて、愛を持って信じ合うことの大切さと深さ、そして、戦争が及ぼす過大な惨禍に思いを馳せ、どう生きるべきなのかという印籠を手渡された気がした。現代を映し出す、独自の緊迫感溢れる秀逸で稀有な逸品であった。