劇評226 

人間が本能のままに突き動かされていく様を、柔らかな喜劇性を持って描いた逸品。

 
「かもめ」

2013年9月14日(土) 晴れ
シアターコクーン 18時30分開演



作:アントン・チェーホフ
上演台本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ 
出演:生田斗真、蒼井優、山崎一、梅沢昌代、
西尾まり、中山祐一朗、浅野和之、
小野武彦 / 野村萬斎 / 大竹しのぶ、他

 
  

場 :   チケットのもぎり対応も至極スムーズに、シアターコクーンのロビーへと入場します。ロビーの雰囲気は至って落ち着いた感じ。物販コーナーはパンフレットのみの販売です。シス・カンパニー公演のパンフは大概が1,000円とお安めなのが有り難いです。

人 :   ほぼ満席です。立ち見席も若干出ています。お客さんの年齢層は実にバラエティに富んでいます。男女比も半々ぐらい。何かに偏ることのない、いい客席だと思います。

  この華やかで実力派が居並ぶ豪華なキャスティングに、観る前からわくわく感が高まっていく。しかし、演出のケラの視点はどの登場人物に対しても、フラットな眼差しを注いでいるため、どの登場人物たちからも、それぞれの人間が抱えるごく日常的な苦悩や憤懣を滲ませ、親和性を醸し出す。アンサンブルが上手く機能する。

 物語は粛々と展開していく。チェーホフの戯曲は、人生の端緒の日常的な何時間かを描きそれを紡いでいくため、人々に起こったエポック・メイキングな出来事は、観る者が想像力で補っていくしかない。言い換えれば、演じる役廻りにいかにリアリティを持たすことが出来るのかが、役者にも演出家にも問われていくことになる。力量が否応無しに試される戯曲であると言える。

 ケラの手捌きは大仰な外連味を一切排し、自分の人生を精一杯に生きる人間のペーソスを掴み出し客観的に見つめていく。その人物を捉える冷静なアングルが、アイロニカルな可笑し味を表出させていくことになる。その繊細さが、本作の肝。ピンセットで感情の襞を摘まむが如く、微細な心の動きを交差させ絡め取っていくことで、人間同士の間のささやかな差異が浮き彫りになり、その相違が可笑し味へと転じていくのだ。

 ケラが設えたステージの上を跋扈するのは、実力を伯仲させる人気俳優たち。演じる役柄の核をしっかりと捉えた上で、自らの資質を掛け合わせ、独自の個性を造形していく。そして、自己に没頭して主張し過ぎることのないクレバーなバランス感覚で、それぞれが拮抗し合うその様が、実に心地良い居住まいを創り出していく。

  背景となる美術であるが、室内の場面では壁一面がガラス窓となり、内から外への希求が象徴的な造りが印象に残るが、外のシーンにおいてはリアルな造形とは一線を画し、印象派のような柔らかな雰囲気を漂わせる。台詞の応酬が窮屈にならないための“抜け感”が、さりげなく作品の背景で息づいていく。

 大女優・アルカージナを演じる大竹しのぶが、圧倒的な存在感を示していく。深刻さと滑稽さとわがままとが表裏一体となった大女優の奔放な振る舞いを、大女優・大竹しのぶがパワフルに演じていく。息子であるトレープレフは生田斗馬が演じるが、息子に対しては1個の人間として接し、可愛がりもするが罵倒して取っ組み合いのバトルにもなっていく。その一瞬をギリギリに生きる女優の性を、衰えぬ色香を漂わせながら嬉々として演じぬく。

 そんな母親の息子に生まれてしまったことの辛苦を嘗めるトレープレフであるが、悩み、鬱屈した精神も生田斗馬を通すと清廉さを獲得し、溌溂とした若者像が浮かび上がってくる。内に向かう感情もパワフルに演じていくため、段々と弱っていく様もポジティブにさえ感じられるのが面白い。もう少し陰影を含んだ複雑さが垣間見られると、奥行きが深くなったのではないかと思う。

 野村萬斎はアルカージナの愛人で流行作家のトリゴーリンを演じるが、主演を張ることが多いにも関わらずピッタリとアンサンブルの一員となり、トリゴーリンのポジションをクッキリと際立たせていく。人気はあるのだが自分はどの作家よりも劣るのだという劣等感を抱きつつ、アルカージナの前では優柔不断な態度を取ってしまう、少々情けないダンディな作家振りに愛嬌を忍ばせていく。また、作家特有の奔放さや厭世的なニュアンスも感じさせ、トリゴーリンから多面性を引き出していく。

 女優志望のニーナを演じるのは蒼井優。若さゆえの一途さと無知さが強調されることにより、ニーナの可愛いらしさがふんわりと引き出されていく。無垢な女性のピュアな感情を、ストレートに叩き付けるように蒼井優は演じていく。愚直なまでの生き様を素直に造形して好感が持てるが、時折挟み込まれる謳い上げる台詞廻しに、女優としての未成熟さが少々感じられる。

 山崎一は老齢の中に愛嬌を忍ばせ、梅沢昌代は妙齢の色香を漂わせる。西尾まりは恋する女の裏腹な心情に説得力を持たせ、中山祐一朗は恋する男の純真さをピュアに演じる。浅野和之は粋な大人の男の伊達さを醸し出し、小野武彦は主従の関係の曖昧さをコミカルに表現していく。

 戯曲の中からそれぞれの人間の可笑し味を引き出し、力量ある俳優陣が客観性を持ってアンサンブルに徹していく。そこから滲み出る、生きていること自体の面白さ、不思議さ、不可解さを活写していくことで、人間が本能のままに突き動かされていく様を、柔らかな喜劇性を持って描いた逸品であると思う。


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