劇評234 

藤田貴大の才能に満ち溢れた、観る者の誰もが思い当たる感情を揺さぶられる傑作。

 
マムーとジプシー「モモノパノラマ」

2013年12月1日(日) 晴れ
神奈川芸術劇場・大スタジオ 13時開演

作・演出:藤田貴大
出演:石井亮介、伊東茄那、萩原綾、
尾野島慎太郎、川島ゆり子、成田亜佑美、
中島広隆、波佐谷聡、召田実子、吉田聡子

   

場 : チケット購入時に、既に、チケットに印字されている整理番号順に入場するシステムです。劇場内に入ると、中央にステージが設けられており、四方を観客席が囲んでいます。物語がスタートして分かるのですが、どこかのエリアが正面になるということが決してなく、それぞれのエリアから観る光景が完璧に成立するというアートの様なシーン構成に驚愕することになります。

人 : 満席です。20歳代の若い観客が目立ちますね。小奇麗でお洒落な若者多しです。男女比も半々位でしょうか。お一人来場者の率が高いような気がします。本公演が神奈川公演の最終回になります。

 開場し、劇場の中に入ると、センターにステージが設けられており、観客席はそのステージの四方に据えられている。ステージの床面には、ラース・フォン・トリアー.の「ドッグウィル」のセットにも似た、幾筋かのラインが敷かれている。一人の男優がステージの上で、劇場内に入ってくる観客を眺めている。そのうちに、その男優以外の俳優陣も入れ替わり立ち換わりに登場し、滞留し、そして、ステージから去っていくという動きを示していく。不思議な雰囲気が劇場内に立ち上る。 

  圧倒された。グウの音も出ない程、衝撃を受けた。藤田貴大の才気迸る才能を目の当たりにして、正直愕然とした。こんな演劇、見たことない。

 細い木で編まれた、まるで建物の骨組みのような立体物を、絶えず舞台上で俳優陣が休むことなく、様々な形態に組み直しながら色々なシチュエーションを創り出していく、その目くるめくような展開に目を見張る。観客席がステージの四方に広がっているため、どの席で観るかによって、全く違う風景が現出しているはずだ。それも、きっちりとした計算の上に成り立っており、物語は粛々と運んでいくかに見える。舞台上では、幾つものシーンが同時に存在することにもなるが、それぞれが見事に呼応し、繊細に響き合う。

 綿密に描き込まれた設計図を、いとも飄々といった体で展開させていく軽業師の様な職人的側面に気を取られてしまうかにも思えるが、この装置はあくまでも、物語を表現する背景として存在する事に徹しており、外連味を主張し過ぎることは決してない。そして、まるでおもちゃを操るかのような遊戯性も併せ持ち、舞台で表現されていく子どもたちの物語と響き合っていく。

 特定されないある地方で幼少期を過ごした姉妹が中心となり、物語は進行していく。タイトルにもある「モモ」は、二人が飼っている猫の名前。友達の家で生まれた猫を姉妹が譲り受けるエピソードや、貰い手のないその他の猫を川に流し、あるいは帰ってこない猫を心配したり、姉妹で大喧嘩が勃発したりもする。友人の家でトランプをしながら会話を楽しみながらも、投信自殺をする友人のシーンが挟み込まれるなど、善悪をジャッジする事のない幼い子どもたちの危うげな感性に寄り添いながら、日常に起こる出来事を、繊細に描いていく。

 交わされる会話は、ストレートな日常会話だ。そこには、暗喩や隠喩、謳い上げるような独白は一切ない。子どもたちによる、ごくごく平易な言葉が紡がれていくのだが、幼さゆえの毒を内包した悪意のない物言いに、今では、もう、忘れかけている昔日の日々をノスタルジックに思い起こすことにもなる。相手を傷付ける事に対して自覚がなく、躊躇せず思ったことを口にするピュアさに胸がヒリリとする。

  断片的に様々なシーンがコラージュされていくのだが、時系列もてんでバラバラに、時には、全く同じシーンがリフレインすることもある。輪環する脳内の記憶と、自覚する意識とが綯い交ぜになるこの感覚は、生理的に何故かしっくりと納まり、登場人物たちへの親和性が高まる効果を高めていく。決して抜け切ることの出来ない心の内に降り積もった沁みが、順不同に思い起こされていくような感覚だ。

 冒頭のシーンが、大人になった姉が帰郷した際の視点で語られていたのだということは、物語の終盤になって分かってくるのだが、そこに大人の視点が持ち込まれることで、これまでリアルタイムで見てきた物語が、一気に過去の懐かしい出来事へと収焉していく切なさに胸が締め付けられる思いがする。

 変に子どもを演じようというあざとさの彼方に位置する俳優陣の居住まいが、心の夾雑物を一切取り除いた清廉さを発し、観客の心とストレートにシンクロする。藤田貴大が意図する作品世界を漂泊するかのような佇まいで、沸点を敢えて高くしない熱演が、心を捉えて離さない。

 強烈なビジュアル・インパクトに引っ張られ過ぎることなく、人間の心に沈殿した昔日の想いを丁寧に汲み出すことで、今の自分の襟を凛と正さざるを得ないような心の何処かに置き忘れていた真摯さと対峙することになる。従来の演劇という枠に納まりきらない藤田貴大の才能に満ち溢れた、観る者の誰もが思い当たる感情を揺さぶられる傑作だと思う。


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