劇評246 

スパイスが効いたソフスティケイティッド・コメディとして大いに楽しめた。

 
「酒と涙とジキルとハイド」

2014年4月19日(土) 晴れ
東京芸術劇場 プレイハウス 18時開演

作・演出:三谷幸喜
演奏:高良久美子、青木タイセイ
出演:片岡愛之助、優香、藤井隆、迫田孝也

   

場 : 東京芸術劇場 プレイハウス、最近、度々、訪れるようになりました。ロビーが広々としているので、開放感があっていいですよね。クロークが広いのも有り難い。劇場内に入ると、既に、舞台美術が設えられています。ジキル博士の実験室の様ですね。フラスコの入った液体が沸騰し続けています。

人 : 満席です。年齢層は40歳代以上の方々が多くの比率を占めている感じです。男女比は半々ぐらい。ご夫婦、友人、カップルなどの来場者が多く、グループ客はあまりいませんね。いずれも演劇を見慣れた風な観客に包まれた雰囲気の良い空気感が劇場内に漂っています。

 ジキルとハイドがテーマであることから、深刻な人間ドラマが展開されるのかと思いきや、観客を笑わせ楽しませることに徹頭徹尾こだわったコメディを三谷幸喜は生み出した。三谷幸喜の最近の新作は、実在の人物たちを材に取り、その人生の中におけるある出来事を斬り取ることで、人間の心の襞を繊細に筆致し秀逸だが、本作は、2001年の「バッド・ニュース☆グット・タイミング」以来の本格派なコメディで、大いに弾けまくり新鮮だ。

 キャスティングからいって、片岡愛之助がジキルを演じるのであろうことは分かっていたが、優香や藤井隆、迫田孝也が、では一体どのような役回りを演じていくのかということが気になるところであった。

 舞台が開くとそこは、ジキル博士の実験室。そこに「ロード・オブ・ザ・リング」のオーランド・ブルームのようなヘアスタイルをした、博士の助手プール、迫田孝也が登場し、クスリと笑いが零れてしまう。何故、その装いなのだと。でも、まあ、そのクスリも狙いなのでしょうね。仔細にまで目配りが効いた、三谷幸喜の仕掛けが其処此処に施されていくことになる。

 ジキル博士のフィアンセ、イブを演じる優香が登壇する。可憐なルックスや口舌爽やかな台詞廻しで、舞台に艶やかな彩りが添えられていく。博士のことは、それ程好きではないのだが、親が決めた許婚であることに疑いを持たずにいる令嬢を軽やかに演じていく。バラエティ番組などで鍛えた当意即妙な鋭い感性が、遺憾なく発揮されていく。コメディエンヌ振りが違和感なく板につき、作品を中軸から回転させていく。

 片岡愛之助が現れると、舞台にグッと華やかさが広がっていく。観客の熱視線がよりホットになるのが感じられる。台詞の端々に駄洒落などを連発し続け、イブに好かれることのないイケてない男の可笑し味を笑いに転換させ観客を湧かせていく。ジキルを浅薄に描いていくことが、ハイド登場への布石ともなっていく。

 ジキル博士の実験室に呼ばれた藤井隆演じるビクターは、どうやらシェイクスピア芝居でちょい役を貰っている役者のようである。そんな役者が、何故、実験室に呼ばれたのかということが、本作の肝となってく。“とりかえばや”的とでも言ったらよいであろうか。最近では舞台への活動の場を広げつつある藤井隆であるが、コメディに必要とされる間合いの絶妙さが、確実に笑いを生んでいく。

 コメディと言えども、ジキルとハイドである。笑いの奥に潜むは、人間が普段は覆い隠している本性の姿。ジキルが発明し、明日、その成果を発表することになっている表裏を行き来できる液体を、愛之助、優香、藤井隆がそれぞれ飲むことで、本性や本性らしきものが暴発していく。飲んでは変化しを延々と繰り返していく。ドタバタもここまで徹底して描かれると、清々しささえ感じてしまう。考える隙間のない程、濃密な空間が展開されていく。迫田孝也が事の顛末に捲き込まれない立ち位置で、観客の意識とブリッジしてくれる構成が腑に落ちる。

 擬態を演じること、暗示にかかること、騙そうとすることなど、人間の意識、無意識に関わらず、身体の奥底に抱え込む葛藤が露見することで、何故か晴れやかな気分になっていく。自らも心の何処かに持っている矛盾が、他者の姿を垣間見ることにより、発散、昇華していくのかもしれない。 

 笑って、笑って、少し、ハートにドキリとくるコメディとして大いに楽しむことが出来た。最後のオチまで可笑しく、人生のスパイスが効いたソフスティケイティッドされたコメディとして大いに楽しめた。


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