劇評247 

カズオ・イシグロの傑作小説が、紛れもない傑作舞台となって甦った。

 
「私を離さないで」

22014年4月29日(火・祝) 小雨
彩の国さいたま芸術劇場大ホール 18時開演

原作:カズオ・イシグロ
演出:蜷川幸雄 脚本:倉持裕
出演:多部未華子、三浦涼介、木村文乃/山本道子/床嶋佳子/銀粉蝶  内田健司、茂手木桜子、長内映里香、浅野望、堀杏子、半田杏、呉美和、佐藤蛍、白石花子、安川まり、米重晃希、浦野真介、竪山隼人、堀源起、中西晶、坂辺一海、白川大、砂原健佑、阿部輝、銀ゲンタ、鈴木真之介、高橋英希

   

場 : 初日です。劇場ロビーには、出演者に贈られた花の香りが漂っています。何故か、物販売り場に長い行列が出来ています。劇場内に入ると、緞帳は下がってはいないのですが、漆黒な状態なため、舞台美術などは見えていません。

人 : 満席です。初日なため、関係者風の方々の姿が多く見受けられます。観客は、様々な年齢層の方々が集っていますが、観劇慣れした人が多い感じがします。上演時間が3時間55分なため、終演後はいち早く駅へと向かう方が結構多かったです。

 カズオ・イシグロの傑作小説が、一体、どのように舞台化されるのかという1点において、非常に興味深い思いを抱いて劇場へと向かった。映画版は、原作のあの独特の空気感が上手く映像化されていたが、リアルに観客と対峙する舞台において、どのような仕掛けが施されていくのだろうか。

 一人称で書かれた手法と、舞台を日本へと移した脚本が、原作から大きく翻案された点であろうか。介護士になった主人公が登場する冒頭のシーン以外は、原作に忠実に物語は展開されていく。寄宿学校へイルシャム、コテージ、その後の3部構成が遵守され、脚本も3幕で成り立っている。キャシーは八尋、トミーはもとむ、ルースは鈴へと名前が変換された。それぞれ、多部未華子、三浦涼介、木村文乃が演じていく。

 現在、介護士として働く八尋の彼方から、へイルシャムの生徒たちがスローモーションでゆっくりと観客に向かって迫ってくるシーンで、一気に時間が過去へとワープする。そのあまりにも楽しそうな表情を見ていると、もうそれだけで反射的に滂沱してしまう自分がいた。冷徹に物事の成り行きを捉えるのではなく、登場人物たちの気持ちにピッタリと寄り添い情感たっぷりに描かれる光景が展開され、観る者の気持ちが絶えず舞台上の皆と共振していく。

 へイルシャムの学園生活は、多くの生徒たちの群集劇として活き活きと描かれる。この弾けんばかりの若々さに圧倒されていく。しかし、何処かその場を冷静さが支配していくのだ。それは事の成り行きを予感させる伏線が、俳優陣の心の奥底に沈殿しているからであろうか。この空気感が物語のテーマをクリアにすることに寄与し、迸る溌溂さに一種の静謐さを与えていく。

 癇癪を起こすことが面白がられ、皆からいじられ浮き上がってしまう三浦涼介の苛立つ姿から目が離せない。何処にも行き場のない感情の発露が、逡巡する若者の思いをグッと凝縮させて見せていく。そんな姿を見守り叱咤するお姉さん的役割を多部未華子が演じ、物語の支柱に強固な安定感を与えていく。そんな中において、歯に衣を着せぬ自由奔放な発言をするムードメーカーを木村文乃が演じ、鬱屈した真情の箇所に風穴を空けていく。

 原題名ともなっている音楽「NEVER LET ME GO」を聴きながら、枕をまるで自分の赤子のように抱き締めながらたゆたう八尋。その姿を見かけ、愕然とし涙する床嶋佳子演じるマダム。生徒が創作した作品をチョイスし持ち返るマダムの存在は多くの謎を孕んでいるが、小説でも印象的なこのシーンは、後の伏線にも繋がる余韻を残す、美しくも哀しい光景を生み出した。

 2幕目では、学校を卒業した3人が、同じような境遇の他校の卒業生とボヘミアンのような「農園」での共同生活を過ごす日々が描かれていく。すすきのような枯れ草に囲まれた中に、テーブルや椅子などが配された中越司の美術が素晴らしい。1幕目の学校の壁に囲まれた装置から一転するのであるが、自由な中にも、やはり周囲は壁で囲まれている状態に、皆が置かれた状況を無言の内に表現していく。

 自分の親ではないかという人を探しに行ったり、無くしたカセットテープを見つけるなど、様々なエピソードは原作そのままに綴られていく。中軸を欠いたような日々の生活に、そこはかとなく“未来を持てない”若者たちの虚無感が漂い始める。断崖絶壁に立たされた者の哀しみが染み出るような苦しさが、胸を突く。

 3幕目は、それから数年の時を経て、介護士として働く八尋、1回目の“提供”を終えた鈴、2回目の“提供”を終えたもとむたちが、出会うところから物語はスタートする。何を“提供”しているのかということが、本作最大の肝となる訳なのだが、それは「臓器」。“提供”するために生きてきたという運命を背負う若者という設定なのだ。カズオ・イシグロが創作する、フィクションとリアルが交錯する世界観は独特の感触だ。

 愛する恋人同士には“猶予”が与えられるという噂を確かめるべく、八尋ともとむは、鈴から手渡されたマダムの住所を訪ねるが、そこで、マダムと銀粉蝶演じるヘイルシャムの先生と出会い、へイルシャムが孕んだ多くの謎が語られ、海に打ち捨てられた難破船のごとく、逃げ場がないのだという事実を突き付けられることになる。床嶋佳子の燐とした存在感、銀粉蝶の悪びれることのない使命感が印象的だ。

 二人の周りから全ての美術が取り払われ、慟哭するもとむと、ただ涙するしかない八尋が残される。その向こうから、へイルシャムの学生たちが幻の如く立ち現れてくるのだ。もう、ただただ胸がかきむしられるような思いに、心が引き裂かれていく。

 カズオ・イシグロの傑作小説が紛れもない傑作舞台となって甦った。今でも、思い出すたびに、涙してしまうようなのだ。


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