劇評248 

観る者全ての心を捉えて離さない傑作ミュージカル。

 
「イン・ザ・ハイツ」

2014年5月10日(土) 晴れ
神奈川芸術劇場<ホール> 18時開演

原案・作詞・作曲:リン=マニュエル・ミランダ 脚本:キアラ・アレグリア・ウデス 歌詞:KREVA 翻訳・訳詩:古川徹 演出・振付:TETSUHARU
出演:松下優也、Micro[from Def Tech]、梅田彩佳[AKB48]、大塚千弘、中河内雅貴、大野幸人、植原卓也、エリアンヌ、安崎求、樹里咲穂、マルシア、前田美波里 / 丘山晴己、KEN[S☆RUSH]、平田愛咲、TOMOMI、菅谷真理恵、渡部沙智子

   

場 : KAATの近辺にまで赴くと、本公演に向かうであろうクールな感じの人々が劇場に吸い込まれていきます。千秋楽の1回前の公演ですね。コアな同作品のファンが多い感じがしますが、物販コーナーなどはそれ程、並んでいません。どうやら、もう、何回か観ている方が多いような雰囲気です。

人 : 当日券も出ていますが、ほぼ満席です。ロビーで聞こえてくる来場者のお話から、やはり、リピーター多しという感じです。客層は、若いです。20〜30歳代が多いという、演劇公演としてはなかなか珍しい光景です。皆、ステージを一心に見つめています。

 もう、ステージが動き始めた瞬間から、これはスゴイぞという予感が迸る。舞台から発せられる、そのパッションのボリュームが半端ないのだ。しかも、その放熱は、実に繊細で緻密。作品全体のバランスを欠くことなく、出演者の皆が他の出演者陣を尊重し合いながらしっかりとタグを組んでいるということが、観る者にもはっきりと伝播し、心がいつしか「イン・ザ・ハイツ」に取り込まれていく。

 本作ではニューヨークはマンハッタンの北西部にあるワシントン・ハイツの、ラテン系・コミュニティにおける3日間が描かれていく。アメリカに希望を抱いて中南米から移住してきた住民たちが、様々な思いで暮らす生き様が活写されていく。

 ラテン系の人々の悲哀を、日本人が演じるということに全く違和感がない。俳優陣が身体の奥底から役を捉えているため、表層的な表現に陥ることがないのだ。ある種のマイノリティが抱えるセンシティブな感情と、現代の日本に生きる者たちの悲哀が見事にシンクロしていく。

 ミュージカルであるがラテンやR&Bの要素が強烈で、ラップも横溢する楽曲群はオリジナリティ満載だ。この音楽のテイストが、日本においても“今”の空気感と呼応し、演じ手たちが歌詞に自らの溢れる感情を載せ、若者の心の叫びがリアリティを持って観客に叩き付けられてくる。

 メッセージ性を保持しつつも、エンタテイメントとしての娯楽性を充分に開花させた立役者は、演出と振付を担うTETSUHARUだ。自らがダンサーで振付も手掛けてきた数々の実績が、演出にも大いに活かされている。ダンスを振付けるというクールな客観的視点が、俳優個々人の身体性を最大限に引き出す手腕としても遺憾なく発揮され、演者をエンタテイナーとして舞台に確実に存在させていく。

 ダンスと芝居、そして、歌唱の全てが一体化しているのだ。どのパートもブツブツと区切れることのない、滑らかな展開を示しているのは、TETSUHARUが隅々に至るまでを自ら差配しているからに他ならない。また、リズムと見事に呼応したKREVAの歌詞が、登場人物たちの真情をクッキリと浮き彫りにしていく。

 from Def TechのMicroが語り部の様な役割を担うが、生々しい感情をストレートに打ち出すピュアさが、心にグッと忍び込んでくる。演技の技をも超越したその存在感が、人種を超える生々しい親和感を生み出すことに成功した。Micro演じるウスナビが営む食品雑貨店の従業員演じる中河内雅貴のキレのいいダンスっ振りと、舎弟的な愛らしさが印象に残る。

 松下優也がロミオ的、AKB48の梅田彩佳がジュリエット的な役回りを担い、作品の中軸に聳立し物語を牽引していく。大塚千弘がラテン的でセクシーな女性を造形し、未来を憂うる悲哀が胸に突き刺さる。安崎求と樹里咲穂が梅田彩佳演じる娘の両親を演じ、ベテランのスキルと表現力で作品をしっかりと押し支えていく。

  多くのミュージカルで数々の賛辞の足跡を残すマルシアが美容院のオーナーを演じ若者たちを柔らかなオーラで包み込み、エンタテイメント界のイコン・前田美波の存在感が作品に一段高いクラス感を付与していく。

 3日の間に様々な事件が起こるのだが、最終的に皆が自分の“ホーム”を見つけ出すという展開に、人種や国を超えた共感性が湧き上がる。観る者全ての心を捉えて離さない傑作ミュージカルに仕上がった。再演したら、皆を誘って、また、観に行きたいと思います!


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