劇評264 

演じ手が最大限に己の表現の領域を拡げようとすることが、
野田秀樹の才覚を浮き立たせることになった逸品。

 
「半神」

2014年10月25日(土) 晴れ
東京芸術劇場 プレイハウス 19時開演


原作・脚本:萩尾望都
脚本・演出:野田秀樹
翻訳:ソン・ギウン、石川樹里
出演: チュ・イニョン、チョン・ソンミン、オ・ヨン、
イ・ヒョンフン、イ・ジュヨン、パク・ユニ、イ・スミ、
ヤン・ドンタク、キム・ジョンホ、キム・ビョンチョル、
ソ・ジュヒ、チョン・ホンソプ
 

   

場 : ロビーの雰囲気は、いたって平穏です。劇場内に入ると、日本の歌謡曲と韓国のポップスが交互に流れています。独島問題など、何のその、です。文化で人が繋がっていくというプラスの連鎖、大賛成です。

人 : 1階席はほぼ満席ですが、サイドの席は空いていますね。当日券も出ているようです。演劇関係者風の方、多しです。韓国の方のお姿もお見受けします。皆さん、一体どのような舞台が展開されていくのかという期待を持って、真摯に作品に向き合っている姿勢がいい緊張感を生んでいます。

  劇場内に入ると、緞帳は既に上がり、ステージの上では俳優たちが、ストレッチをしたり、会話を交わしたりと、思い思いの姿で存在している。開演すると、物語は劇団のオーディションへと自然にスライドしていくことになる。

 台詞は韓国語。イヤホンガイドで流れる日本語と、リアルに聞こえてくる韓国語とが融合するまでに少々戸惑ったが、慣れる瞬間を越えると、後は自然にステージを注視することができるようになっていく。

 野田演出は、かつて観た同作へのアプローチと、その手法を大きく変えていることがないように思える。しかし、演者は言語が異なる故、何処かしらで違和感が生じてくるのかと思いきや、韓国俳優陣が本作が内包するパワーを更に倍化してくような弾け具合で、観る者を惹き付けて離さない。

 韓国人俳優の表現はストレートで的確だ。言語を違えど、鍛錬されたスキルの上に成り立つ演技は、しかと観る者の心に伝わってくるため、軽々と国境線を越境していく。

 文化は政治とはその在り方を異にする。この時期、日韓の関係性はセンシティブな要素を孕んでいたと思うが、少なくともこの作品を共有した役者と観客の間には、国同士を阻む壁は一切取り払われていたと断言出来る。観客席には韓国の方もいらした。心地良い空間が、そこには存在していた。

 シャム双生児の姉妹を演じる、チュ・イニョンとチョン・ソンミンが中心に聳立し、作品を牽引していく。特に、可愛い妹に嫉妬する姉を演じたチュ・イニョンの哀切が、心にしこりとなって残っていく。天真爛漫な妹を演じたチョン・ソンミンとの対比がクッキリと示され、最終的にどちらかの命を救わなければならないという局面において、胸が締め付けられるような感情が沸き起こってくる。

 双生児を見守る家庭教師を、イ・ヒョンフンが演じるがパワフルでありながら実に冷静。観客を惹き付ける魅力もタップリと溢れ、フレッシュな存在感で作品をしっかりと側面から支えていく。韓国での活躍振りは詳しくはないのだが、韓国演劇界の人財の豊富さが、しかと伺える逸材であると思う。

 数学者・ドクターはオ・ヨンが造形するが、落ち着いた安定感が観る者にふくよかな温かさを感じさせてくれる。双生児の父母を、パク・ユニ、イ・ジュヨンがカリカチュアライズされたテイストを付与して演じることで、柔らかなニュアンスが添えられることになる。

 韓国俳優陣の安定感あるスキルとアグレッシブな表現力とが相まって、野田作品を、ではなく、役者の演技を堪能出来る作品として成立する、強烈なインパクトを受け取ることになる。演じ手たちが、野田秀樹というビッグ・ネームに縛われ過ぎることなく、最大限に己の表現の領域を拡げようとすることにより、野田秀樹の才覚を更に浮き出たせる様な逸品に仕上がったのだと思う。


過去の劇評はこちら→劇評アーカイブズ