劇評27 

濃密な空間から広がるアカルイミライ。

「赤鬼」日本版





2004年10月2日(金)晴れ
シアターコクーン 19時開演

作・演出・出演:野田秀樹
美術・衣装:日比野克彦
照明:海藤春樹
出演:小西真奈美、大倉孝二、
    ヨハネス・フラッシュバーガー

場 : シアターコクーン、引き続き改造。
ひょうたん型というか、水溜りっぽいというか、うねった形状の舞台を観客が囲む。
舞台下の周囲にはグリーンやブラウンを主とした空き瓶が並ぶ。
明かりが入るととても美しい。
人 : 演劇好きな方々が多いか。ひとりで来ている人も結構多い。
初日ということもあってか、イギリス人俳優の知り合いらしき人も観客に。
観客対面の中段に日比野克彦氏、海藤春樹氏の姿も。

 野田演劇の真骨頂。めくるめくストーリー展開とクルクルと展開する状況設定が、役者の身体を通して表現され、他の何ものにも頼らない俳優演技の醍醐味を味あわせてくれる。装置や小道具や衣装は、状況をリアルに説明するものとしてではなく、観客のイマジネーションを掻き回すものとして、ある時は驚きと共に、ある時はそう使うかといった可笑しみと共に、予期せぬ切り口で斬り付けてくる。



 4人で演じるがゆえにそれぞれの役者の力量が問われるところだが、今回のキャスティングは、旬である新鮮感を第一に選定されたのであろうか。「上手い」と唸る様な手合いではなく、軽やかに時空を跳梁跋扈する身の軽さがストーリーをぐいぐいと引っ張っていく。



 大倉孝二は独特の個性を抑えることなく、のびのびと野田秀樹とからみ、楽しんで演じているかに見えた。小西真奈美はそのルックスの可愛さは特筆すべきだが、声の音域が狭い故か、目まぐるしく展開するストーリーやキャラクターの演じ分けのエッジが効いてこない。どの役も同じように見えてしまうのだ。1つの芝居でいくつものキャラクターを瞬時にして演じるということがいかに大変かということなのではあるが…。両者共、野田秀樹が運転する列車の表層とマグマを行き来するスピードに振り落とされないよう食らい付いていっているようだ。


 野田秀樹の演技については、もう、とやかく言うこともないだろう。誰でもない野田秀樹自身が創り出した野田秀樹という演技者は、何かと比較することが不可能な絶対無二な存在なのであるのだから。岩のオブジェのようなヨハネス・フラッシュバーガーの存在感も、また、作品に厚みを加えていた。


 タイ版に引き続き登板の美術・衣装の日比野克彦であるが、日本版はふくよかな優しさが加わった感じがする。まず、衣装に色が加わりは華やかになった。幾重にも重ねられた糸や布を織り成す人の手が入った職人技の貴重な一品モノであることが見る者にも伝わり、ぬくもりが感じられた。美術も、また、新たな発想で、観客を驚かせてくれる。網に絡まったいくつものブイらしき物体に板を載せただけで小船になるとは!!


 海藤春樹の照明も日比野克彦のアートと呼応するかのように、各シーンの状況をイメージさせながらも、心象風景とも交錯させる手腕はさすがである。


 共同体と個人の在り方に考えを巡らせながら、未来についても思いを馳せるような優しさと希望を振り撒いてくれた気がする。暖かい気持ちで劇場を出ることが出来た。


 また、演技を超えた旬の役者のマジックという味付けが、この作品に大いに貢献し効を奏していたということが、カーテンコールで判明することとなる。単純に演技のテクニックだけで測ることが出来ない濃密な空間がいつの間にか出来上がっていたのだ。LIVEの醍醐味である。