劇評299 

醜から美を抽出し、明日もまた生きていくのだという想いへと繋げる人間賛歌として秀逸。

 
 
「エターナル チカマツ
−近松門左衛門『心中天網島』より−」

2016年3月19日(土) 曇り
シアターコクーン 18時30分開演

作:谷賢一
演出:デヴィット・ルヴォー
出演:深津絵里、
中村七之助/伊藤 歩/中島歩、
入野自由、矢崎広、澤村國久、
山岡弘征、朝山知彦、宮菜穂子、
森川由樹/中嶋しゅう/音尾琢真

場 : 文化村の主催公演ではないのですね。パンフレットの販売方法などが、違っているのはそのせいでしょうか。劇場内に入ると、映像で投影された白、黒、朱色の定式幕が眼前に広がります。古典を踏襲しつつも、新規な展開を示す宣誓でもあるように受け取れます。

人 : 満員御礼です。当日券の立見の方も結構いらっしゃいますね。年齢層は40歳代以上の方々が多いですね。男女比はやや女性が多く、観劇慣れした風な人比率が高い感じがします。

 本作は、近松門左衛門の「心中天網島」を基にしたデヴィット・ルヴォーのストーリー・アイデアを、谷賢一が戯曲化した新作である。デヴィット・ルヴォーが既存の戯曲以外を演出する作品を観劇するのは初めてである。どのような展開になるのか、固唾をのんで見守ることになる。

 プロセニアムに下された幕に映像が投影される。リーマンショックと思われる経済が破綻する社会的デザスターの光景が、ドキュメンタリー風な映像とナレーションで活写されていく。意表を突くオープニングだ。幕が上がると、そこは現代の日本の色街の路地へと場は転じる。女を求めて迷い込む男達が、声掛けする呼び込みに誘われて店の中に入っていくシーンが描かれ、その中の1軒の店で働く女ハルが、何やらお店の番頭とギャラの取り分の事で揉めている場面へと繋がっていく。

 ハルを演じるのは深津絵里。冒頭の映像で示された様に、世の経済破綻の余波を受けたためか、多額の借金を背負った若い盛りを過ぎた売春婦という設定だ。上品な向きには刺激的な、かなり猥雑な会話がストレートに交わされていく。妻子ある客と恋に落ちたハルは、その客の兄に乗り込まれ離縁を迫られる。手切れ金を手渡され、ハルは割り切ろうとして金を受け取ることになる。クルクルと変転する状況に巻き込まれていきながらも、自己を失わないよう生きていこうとするハルを、毅然と演じる深津絵里が男前だ。

 行く先々の光明を見失ったハルは、「蜆川」に掛かる橋へと赴く。かつて遊女の涙で溢れたという「蜆川」で、ハルは「心中天網島」に登場する遊女小春と出会うことになる。演じるは中村七之助。現代と江戸時代との時空がスパークし、同空間に存在するハルと小春の光景に、何とも奇妙な印象を受けることになる。その要因は、中村七之助の歌舞伎の所作が、現代劇の中において異質な雰囲気を纏っているからなのかもしれない。

 しかし、現代劇に歌舞伎の演者を融合させることで、江戸時代のいにしえ感が醸し出されるという側面も、また、ある。日本人ではない、デヴィット・ルヴォーであるからこそ、挑戦することが出来た仕掛けであると思う。このサプライズ感は、終始継続していくことになる。この後、物語は江戸時代にも移行し、小春といい仲になった男とその妻との顛末が語られていくことになる。

 その男の妻おさんを演じるのは伊藤歩。成就することのない不倫から身を引くが、男との愛を全うするため小春が死を覚悟しているのをおさんは知ることになる。おさんは自分の衣類を質に入れ金を作り、夫に小春を身請けして欲しいと懇願する。そこでは「女の義理」が描かれ胸に迫るものがある。結局は、おさんの父に阻まれ金策は断たれ、小春と男は心中する道を選ぶことになる。現代と江戸時代とが融合、離脱を繰り返しながら、男と女が選択する道の様々な在り様を露見させていく。

 終盤、死せず、これからも生きていこうと心に決めたハルの目の前に、かつて自殺した夫の姿が現れる。演じるは、早替りで登場した中村七之助。物語は時代のみならず、黄泉の国との時空をも超越し、ただ、どの世に於いても生きていくことの大事さを強く観る者に叩き付けてくる。

 深津絵里の美しい存在感が作品に輝きを与え、中村七之助の艶やかな遊女姿が色香と哀切のアクセントを刻印する。伊藤歩の真摯さ、中島しゅうの変幻自在な洒脱さ、音尾琢真の一途な直情さ、中島歩のピュアな佇まいなど、俳優陣の様々な個性が見事にアンサンブルとして成立している。

 現代劇と古典との融合を見事に成し得たのは、デヴィット・ルヴォーだからに相違ない。醜の状態から美の心を抽出し、明日もまた生きていくのだという想いへと繋げていく人間賛歌として秀逸である。今まで観たことのない、奇妙だが胸に迫る愛の物語として記憶に残る作品となった。


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