劇評311 

ジョナサン・マンビィがアーサー・ミラーの名作を、舌戦の応酬劇として現代に甦えさせた傑作。

 
 
「るつぼ」

2016年10月8日(土) 小雨
シアターコクーン 18時30分開演

作:アーサー・ミラー
翻訳:広田敦郎
演出:ジョナサン・マンビィ
美術・衣装:マイク・ブリットン
照明:勝柴次郎
音楽:かみむら周平
振付:黒田育世、他

出演:堤真一、松雪泰子、黒木華 、
溝端淳平、秋本奈緒美、大鷹明良、
玉置孝匡、冨岡弘、藤田宗久、石田登星、
赤司まり子、清水圭吾、西山聖了、
青山達三、立石涼子、小野武彦、他

場 : 劇場のエントランスには、入場するための行列が出来ています。劇場内に入ると、舞台には黒い緞帳が降りています。これから展開される世界の予兆が全く提示されないことで、かえって期待感が募ります。

人 : ほぼ満席。若干、立見席が出ています。総体的に観客の年齢層は高めですが、20歳代風のお若い方の姿もお見受けします。

 同戯曲は、映画化された「クルーシブル」で鑑賞済みであったが、映像とライブとは戯曲に対するアプローチが全く異なるということに、今さらながら気付かされることになる。5月に同劇場で上演された「8月の家族たち」も同様であったが、映像はとことんリアルであり、演劇はリアルさから一歩引いた地点から人間を描いていく。

 同作は、1692年、アメリカはマサチューセッツ州の田舎町で起こった「セイラムの魔女裁判」と称される事件をモチーフとしている。アーサー・ミラーはその事件と、1950年代初頭の「赤狩り」に対する批判とを重ね合わせたと言われている。1953年6月のブロードウェイ初演から63年後の今、執筆当時の「赤狩り」を特に意識させることもなく、作品の根幹に存在する、異端が排除されるという普遍的な事象が浮き彫りになってくる。

 同戯曲から、作品の神髄を掴み出したのは、演出のジョナサン・マンビィ。登場人物たちが混乱し、自己の保身や得策に走るリアルな姿を、ある種のユーモアさも加え冷静に筆致する。

 舌戦の戯曲である。台詞はことごとく対峙する相手を論破しようと放熱する。悪魔に憑りつかれたという少女たちを巡る超絶さを極める展開を、一瞬の緩みも許さない緊張感を保ちながら描ききる。ハイテンションが途切れることない台詞劇は、教条さを凌駕し、エンタテイメントとして堪能できる仕上がりになっているのは、ひとえに演出家の凄技なのだと思う。

 ジョナサン・マンビィ作品は初見なのであるが、日本人には持ち得ぬ感覚で、台詞を紐解く感触が心地良い。物語は登場人物たちの情感に引き摺られ過ぎることなく、理路整然と冷静に進められるが、その中に哀感を忍ばせる感情の機微の表現は俳優にしっかりと委ねていく。戯曲の面白さと、演劇の醍醐味であるナマの俳優の力量とを、絶妙に拮抗させているところがジョナサン・マンビィの真骨頂だ。

 マイク・ブリットンの美術がいい。閉じられた空間の天井は大きく開かれ、自由を希求する登場人物たちの想いを集約しているようで心に沁みる。また、シーンごとに、そこにある舞台が階下であったり階上であったりと変化を示すことで、ステージ上に拡がる世界の可能性をぐいと押し広げ、観客のイマジネーションを刺激する。マイク・ブリットンは衣装も担当し、登場人物たちの個性を上手く引き出す効果を放っていくが、特に、暖色を基調とした少女たちの微妙に異なる色合いの衣装の美しさは目にも鮮やかだ。

 重層的な美術とそのステージで格闘する人間たちに陰影を施していくことで、物語に深みを増す効果を生む、勝柴次郎の照明がいい。音楽を担うかみむら周平の、循環するミニマルなメロディの旋律は、まさに「るつぼ」の如く、観客を物語世界へと巻き込む魔力を放っていく。少女たちの集団狂気を、エンタテイメントとして昇華させた黒田育世の振付も目を見張る。

 堤真一は、観客とのブリッジを果たす役回りを担っていく。正常な男の感覚が、少女たちが主張する目に見えぬ悪魔の妄想に絡めとられていく状況の中から、人間の尊厳を掴み出し、その是非を観客に叩き付ける。その妻であり、魔女であると投獄された女を松雪泰子が演じる。主義を曲げず自己を貫く姿は冷徹に見えなくもない役どころだが、揺るがぬ思いの根幹には夫への愛が貫かれていることを体現し、作品にふくよかな温かさを付与していく。

 悪魔に憑りつかれる擬態を演じる黒木華は、狂気の沙汰を決して絵空事にさせない生々しさで観客を魅了する。忌避したいのだが、完全には悪者にはなりきれないギリギリのラインを大胆且つ繊細に演じ目が離せない。真実のありかを模索し逡巡する牧師を溝端淳平が演じ、作品のモラルの基軸として物語の良心として存在する。小野武彦の迷いのない権力者振りに観客は苛立たせられるが、氏の個性により、100%の悪漢にならない人間性が零れる様に、事の異様さを浮き彫りにさせる効果を発していく。

 ジョナサン・マンビィの手腕により、アーサー・ミラーの名作が、ヒリヒリとした舌戦の応酬劇の傑作として見事に現代に甦った。観劇している間中、ワクワクのしっ放しであった。戯曲の文字が命を吹き込まれる瞬間の連続に立ち会えた幸福を甘受出来る稀有な体験を噛み締めることになった。


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