劇評312 

普通に生きる人々の中に渦巻く思念や欲望が零れ落ちるヒリヒリとした会話劇として秀逸。

 
 
「星回帰線」

2016年10月15日(土) 晴れ
東京芸術劇場シアターウエスト 19時開演

作・演出:蓬莱竜太

出演:向井理、奥貫薫、野波麻帆、高橋努、
岩瀬亮、生越千晴 / 平田満


場 : シアターウエストの隣のシアターイーストでは、小林聡美、片桐はいり、藤田桃子が出演する「あの大鴉、さえも」が上演されています。何か、賑々しくていいですね。劇場内に入ると、ステージ上の舞台美術が薄っすらと見えています。

人 : ほぼ満席。当日券販売も行われています。客層は、様々な層の方々が集いますが、20〜30歳代の観客が結構見受けられますね。

 東京芸術劇場のシアターウエストという小空間で、旬のスターである向井理を含む、実力派俳優が居並ぶ蓬莱竜太の新作を観劇する贅沢さ。ナマが魅力の演劇の醍醐味がたっぷりと堪能出来る幸福さが、しかと感じられる演目に惹起する。

 蓬莱竜太の筆致は、先行き不透明な現代の日本に生きる人間の本音を、切っ先鋭く斬り裂いていく。「星回帰線」というロマンティックなタイトルと、好青年風のイケメンを演じる向井理がかつての恩師が営む農園に赴くというシチュエーションから始動する物語は、希望に満ちたスタートを切ったかに思える。

 平田満演じるかつての教師の元には、奥貫薫の妻、高橋努と岩瀬亮の青年2人、身重の女性生越千晴が滞在している。そして、近隣に住まう野波麻帆も物語に絡んでくる。そんな集団の中に、向井理という異分子が交わることで、これまで、露見しなかった人間の真意が浮き彫りになっていく。

 八頭身のナマの向井理を目の当たりにし、観客は改めて思っていることなのだと思うが、登場人物たちは向井理に対してことごとくイケメンという言葉を浴びせ掛け、特に女性陣は心もそぞろな様相を呈し観客の思いとリンクする。芝居は絵空事という事実にリアルさを与え、観客を傍観者にさせない作者の仕掛けにはまっていくことの心地良さを享受する。

 人を殺めたりするような悪人は、此処には存在しない。しかし、人間誰もが抱えているであろう邪まな感情が、時間を経ると共に沸々と横溢していくことになる。羨望、嫉妬、蔑み、侮蔑、憤り、諦め、現実を直視せず、上手くいかないことは他者のせいにする等々、自らの無意識な行動が人を傷つけ、他者より自分が優位に立つことに執心する小市民のエゴが全開する。それが抜群に面白い。

 向井理が演じる青年は、ある理由があってこの地にまで流れ着いた。好青年ではある。しかし、この農園に出入りする野波麻帆演じる女に言い寄られ、ねんごろとなる。その女は、高橋努演じる男がモーションをかけていた過去がある。農園の主・平田満の妻、奥貫薫は優しく接してくれるこの青年に光明を見出し、彼の対応を曲解し横恋慕していく。青年は、自分が好かれるのだということを、多分、暗に理解していたのだと思う。しかし、そんな有様を追求されると青年は、自分のせいではないときっぱりと断じる。その悪びれることのない、尊大な態度。

 ユートピアに見える農園は、宝くじに当たった恩恵で運営出来ているのだというリアル。その主人は癇癪を起こしやすく、更年期障害だということが分かってくる。そんな事情は、とうに知っている住民たち。ゲームに夢中な元ひきこもり岩瀬亮は疎んじられる存在であり、妊婦の生越千晴の過去が詳らかにされることはない。

 芝居の中に「分」という台詞が出てくるのだが、自分の「分」とは一体何なのかということを、舞台上で生きる人物たちと照らし合わせながら、自ら熟考していくことになる。自分は果たして「分相応」に生きてきているのであろうか、と。日々、もがきながら、その「分」を見極めようとしているのかもしれない。この作品の登場人物たちと同じ様に。

 当て書きなのであろう戯曲は、それぞれの俳優の奥底に潜む個性を引き出しスリリングだ。人間の本性が徐々に剥ぎ取られ露見していく様は、まさにミステリー。蓬莱竜太の真骨頂だ。

 普通に生きる人々の中に渦巻く思念や欲望が零れ落ちるヒリヒリとした会話劇として秀逸である。「分」をわきまえ生きていく覚悟を突き付けられた様で、身が引き締まる思いで劇場を後にすることになった。


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