劇評341 

個として生きるが孤ではないという、温かな思いを確信することが出来る優しさに満ちた作品。

 
 
「クラウドナイン」

2017年12月2日(土)晴れ
東京芸術劇場シアターイースト
18時30分開演

作:キャリル・チャーチル
翻訳:松岡和子 演出:木野花

出演:高島政宏、三浦貴大、正名僕蔵、
平岩紙、宍戸美和公、石橋けい、入江雅人
 

場 : 東京芸術劇場シアターイーストの小空間で、このメンバーを真近に拝めるのは何とも嬉しい限りです。劇場内に入ると舞台のセンターから花道のようなステージが伸びています。舞台正面にはユニオンジャックのフラッグが掲げられています。

人 : ほぼ満席です。当日券も販売されているようです。演劇通が好みそうな演目故か、観客も観劇慣れしたような方が多い感じです。皆、静かに開演を待っています。

 1985年、1986年、1988年と、木野花は同作の演出を担ってきたが、約30年振りに大人計画のモチロンプロデュースにより、4度目の演出を手掛けることになった。初演と再演を拝見しているが、木野花が所属する女性だけの劇団青い鳥のプロデュース公演で、男優を客演に招いての公演だった。

 そこで繰り広げられる、男優が女性を、女優が男性を演じる役どころが織り交ぜられたジェンダーレスな設定が、何とも衝撃的であったと記憶している。しかも、話の展開にも、LGBTが違和感なく折り込まれていく。LGBTが、現在よりも浸透していなかった時代、同作の上演はなかなか衝撃的であった。30年という時を経て、同作はどのような驚きを与えてくれるのかと、わくわくしながら開演を待つことになる。

 男女の性差を超越した物語展開は、30年前の衝撃とはまた別種の感慨を与えてくれることになる。人間は様々な個性を持っているものであるという事実を、違和感なく受け入れている自分を発見した。しかし、人とは違う点を意識してしまうということは、逆に、無意識下の何処かで、他人との差異を意識しているとも言えるのではないだろうかと気付くことにもなる。

 第1幕はヴィクトリア朝時代のアフリカ英領植民地という時代であるが、現代の視点から見ると、リアルに成り過ぎずに郷愁すら感じられてしまうのが面白い。男は男らしく、女は女らしく生きることが美徳とされていた時代を、絵空事としても捉えることが出来る設定に、観る者の感情がスッと入り込んでしまうようなのだ。

 イギリスからアフリカへと赴任している一家の閉じられた世界で起こる、性差、人種、階級が入り乱れたドロドロな状況を軽妙に筆致するキャリル・チャーチルの世界を、あっけらかんとした明るささえ感じられる表現で創造する、俳優陣のクレバーさが心地良い。

 第2幕の設定が、また、奇妙に捻じれており、第1幕との合わせ鏡になっている構成が面白い。第1幕から100年後のロンドンなのであるが、登場人物たちは25年しか歳を取っていないのだ。しかし、登場人物の役どころは、全てが入れ替わる構成になっている。少々思考を要するが、知的好奇心を喚起させられ、グッと前のめりになっていく。

 登場人物たちはそれぞれ色々な運命を背負っているが、皆、全く否定することなく常に前向きに生きているその姿が清々しい。しかし、それとは裏腹に、人間の奥底から滲み出る哀しみや孤独感も同時に感じられるという一筋縄でいかない表現に心惹かれていく。

 高島政宏が偉丈夫さと繊細さとを見事に使い分け見事である。迷いのないように見える2つの役どころを三浦貴大はストレートに演じるが、時折見せる哀感が印象的だ。正名僕蔵は物語にシニカルな刻印を押す役どころで強烈な存在感を示している。平岩紙はこんなにも芸の抽斗があったのかとビックリした。終始、目が離せない魅惑的な俳優であることを再認識させられた。宍戸美和公は、あまりにもかけ離れている2役に真実味を付加していく。2幕の少年は言葉すら話さないのだ。個性的な御仁に囲まれた石橋けいは、そのピュアな資質が上手く活かされホッと心和ませてくれる。入江雅人はごく自然に役を生き、演じていることを感じさせない熟練のスキルは特筆すべきだと思う。

 時を経た2つの時代が照射し合いながらも、我が子を慈しむようにぴったりと寄り添う、その光景が何とも愛おしい。個として生きるが孤ではない。誰かが必ず見つめてくれているのだという温かな思いを確信することが出来る優しさに満ちた作品に仕上がったと思う。


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