劇評354 

劇場という場から世界を照射した圧巻の傑作。

 
 
「BOAT」

2018年7月16日(月・祝)晴れ
東京芸術劇場 プレイハウス
17時30分開演

作・演出:藤田貴大

出演:宮沢氷魚、青柳いづみ、
豊田エリー、川崎ゆり子、佐々木美奈、
長谷川祥子、石井亮介、尾野島慎太朗、
中島広隆、波佐谷聡、辻本達也 、
船津健太 、中嶋朋子、他

場 : 劇場内に入るとプロセニアムには臙脂色の幕が下りています。その前面に象徴的にボートが一艘置かれています。

人 : ほぼ満席です。当日券も出ています。お客さんは20〜30歳代のお若い観客の割合が、やはり高いですね。お洒落な雰囲気の方が多いですかね。

 BOATが並ぶ海岸を有する、とある町が舞台となる。ディティールが積み重なって物語が紡がれていくので、細かい説明はないが、そんなことは問題ない。そういう設定であるのだということを、一瞬にして観客に理解を促してくれる。

 港町故、色々な人々が流れ着きもする、そんな土地における、新旧の人々の確執が横溢する光景が展開していく。新しく流入する人々を受け入れる者、問題が起こると流入してきた者にその原因を押し付ける者などが混然としていく。

 宮沢氷魚演じる流れ者を中心に物語は展開していく。土地の者は徐々に自分たちのテリトリーが侵食されていくのは、外部からの流入者であると断じ、差別的な言動を犯すようになっていく。登場人物たちは、既成概念の囚われ人であるような気がしてくる。

 藤田貴大は、観客に対して、声高にアジテーションしていく。異分子を排除しようとして、過激な行動に出る者たちに対し警鐘を鳴らしていくのだ。貴方は、この状況を、どう感じますか、と。これは架空の町の話ではない。まさに、現代そのものを描いているのだと思う。純と汚濁が拮抗していく。

 壁や柱や椅子などを役者がパタパタと移動させ、シーンが変転していくのはいつもの藤田貴大演出であるが、本作はその慌ただしく加速する舞台転換が、生き急ぐ人々の運命の歯車が加速していくかのような効果を発していくようだ。観ているこちらも段々と気持ちのボルテージが上がっていく。息を次ぐのが苦しくなっていく。舞台上の人々と気持ちがシンクロしていく。

 “劇場”というテーマが、作品にしっかりと刻印されていく。劇場が情報の発信基地であるのだという藤田貴大の思いが滲み出る。混沌を極める町をBOATで脱出する余所者が空っぽの劇場に、ある“起爆剤”を仕掛けていく。演劇を創る者にとっては、ある意味、神聖な場所である劇場を“瓦解”させるような顛末が胸に迫る。

 どの様な思いで、表現の場の拠点である劇場を“瓦解”させるような物語を認めたのであろうか。今居る自分の立ち位置に固執することなくそこから飛び出し、次なる一歩を踏み出さなければならないのだという、藤田貴大のある種の決意表明にも思えてくる。

 “瓦解”の表現が、また、秀逸である。焔もリアルな爆発音もない。プレイハウスは漆黒に包まれ、腹に響く振動音のみが観客を覆っていくことになる。そこで感じる感覚は、恐怖そのもの。事の顛末が可視化されず、観客個々人の想像力で補わなければならないというクリエイティビティが刺激的だ。

 彼の地を遠く離れエスケープしてきた乗船者は、BOATの上で泣きながら声を振絞り大声で叫ぶ。「私は決して人は殺さない」と。世界で跋扈するテロや、日常と隣り合わせで起きている虐待などが想起させられてくる。劇場という場から世界を照射し圧巻だ。胸に迫る傑作であると思う。


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