劇評372 

「良い子はみんなご褒美をもらえる」世界を創ってはいけないのだと意を強くさせる作品。

 
 
「良い子はみんなご褒美をもらえる」

2019年4月20日(土) 晴れ
赤坂ACTシアター 18時開演

作:トム・ストッパード
作曲:アンドレ・プレヴィン
演出:ウィル・タケット
指揮:ヤニック・パジェ

出演:堤真一、橋本良亮(A.B.C-Z)、
小手伸也、シム・ウンギョン、外山誠二、
斉藤由貴、 他

場 : 入場の際の劇場側のオペレーションが悪いです。こちらへと誘導された列に並んでいたのですが、途中割込みする多くの方をコントロールすることなく野放し状態です。ロビーの階段では祝花を写メする人でごった返し、スムーズに通行することが出来ません。また、劇場内のパンフ専用売場には価格表が掲出されていませんでした。いくらなの?と口頭で確認しました。

人 : 満員御礼です。女性比率が高いですね。年齢層は40歳代がアベレージでしょうか。男性客は女性客の付き添いといった感じの方多しです。

 トム・ストッパードがアンドレ・プレヴィンと組んでこういう作品を作っていたんですね。1976年初演。オペラやミュージカルではなく、ストレートプレイとオーケストラとがガッツリと組まれた作品に遭遇したのは三谷幸喜の「オケピ」以来かもしれない。

 同作品の創作当時は、ベルリンの壁が厳然と存在する、東西冷戦の緊張感がある時代であった。「俳優とオーケストラのための戯曲」とサブタイトルにあるが、その楽しみに満ちた表記とは裏腹に、舞台はソビエトと思われる独裁国家の精神病院で展開される。

 精神病院とはいっても精神を病んでいる者だけが入所しているとは限らない。堤真一演じるアレクサンドル・イワノフは政治犯として同病院に収容されている。「正気な者が精神病院に入れられている」と公表し、自らが囚われてしまったようなのだ。そこで、橋本良亮演じるアレクサンドル・イワノフという同じ名前を持つ青年と出会うことになる。彼は「自分はオーケストラを連れている」と主張し、囚われている身である。しかし、観客にはアクティング・エリアの背景に本物のオーケストラの楽員が見えている。面白い設定だ。

 政治犯は自らの主張を貫く行為としてハンストを続けている。オーケストラの囚われ人は、オーケストラが奏でる音楽が気に入らないと癇癪を起す。小手伸也演じる体制側の人間は、「思考し自分の意見をもつこと」は病気だと断じ、「オーケストラ」がいるという主張を排斥していく。まさに不協和音状態であるかのような中、何が真実で、何が真実ではないかという問いを同作は観客に叩き付けてくる。観る者のモラルが問われていく。

 この作品が書かれた当時と、現在の世界情勢は勿論違うのだが、この作品が提示する問題は、現代にも通じる深淵な問いかけであると感じ入る。SNSなど個人が情報を発信するメディアが拡散されている今、、より真実が分かり難くくなってきているような気がする。40余年を経て、なおも変わらぬ問題を連綿と引き摺っていることが露見し愕然とする。

 ハンストを続ける政治犯はシム・ウンギョン演じるサーシャという息子がいる。体制側から享受する物事をそのまま信じる斉藤由貴演じる教師に厳しく律せられ、父の存在との間で葛藤する。サーシャの存在が同作と観客とをブリッジする役割を担っている気がする。物事を一方的に断じ信じ込ませる政治は正しいのか? いや、正しいはずはない。

 政治犯のハンストを止めさせる目的もあり、サーシャは精神病院に送りになってしまう。
体制に逆らわぬよう懇願するサーシャ。ハンストを止めない政治犯。

 オーケストラのみならず、ダンスなどの身体表現を駆使し、物語をストレートプレイという枠から拡げ、エンタテイメントとして成立させた演出のウィル・タケットのセンスがクールである。様々な要素を上手く整理し、分かりやすく観客に提示してくれる。

 結論は思わぬところからやってくる。権力者である外山誠二演じる大佐が精神病院を訪問し、ある結論を言い放つのだ。世界は瓦解と構築の連続なのかもしれない。視点を変えれば白も黒になるし、時代の趨勢にも大きく左右される。世界は複雑だ。しかし、自分は信念を曲げることなく正しい道を切り拓いていきたい。疑問はひとまず横に置き、長いものに巻かれる「良い子はみんなご褒美をもらえる」世界を創ってはいけないのだと意を強くさせる作品であった。


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