劇評373 

現代の観客をシェイクスピアの世界に誘う、新たな挑戦。

 
 
「ハムレット」

2019年5月20日(土)晴れ
シアターコクーン 18時30分開演

作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:河合祥一郎
演出:サイモン・ゴドウィン
美術・衣装:スートラ・ギルモア

出演:岡田将生、黒木華、青柳翔、
村上虹郎、竪山隼太、玉置孝匡、
冨岡弘、町田マリー、薄平広樹、
内田靖子、永島敬三、穴田有里、
遠山悠介、渡辺隼斗、秋本奈緒美、
福井貴一、山崎一、松雪泰子

場 : 劇場内に入ると既に緞帳は上がっています。薄っすらと舞台美術が見えています。ほんと微かになのですが、風の音が流れています。

人 : 満員御礼です。2階席、3階席共立見席が出ています。40〜50歳代と思われる女性観客が多いです。7〜8割位は占めているのではないでしょうか。

 ロンドンを拠点に活動する演出家、サイモン・ゴドウィンが「ハムレット」にどう取り組むのかが最大の関心事であった。イキの良い旬の役者も揃っており、観る前から期待感が高まっていく。

 開演すると開場時にははっきりと見えなかった舞台美術が見えてくる。欧風のシンプルな建築の造形で、色味も黒や落ち着いたグリーン系の彩色であり、寒々とした空気感がステージ上を覆っている。開場時から聞こえていた微かな風の音も、この寒村のような雰囲気を増幅しているのかもしれない。

 物語が始まると、俳優陣が日常会話のように台詞を発していくのが特徴的であることに気付くことになる。台詞を謳い上げるというようなことはなく、淡々と会話が成されていく。静かなシェイクスピア演劇である。

 タイトル・ロールを演じる岡田将生も、最初は静かな佇まいで悩める王子の姿を晒していくが、起伏の激しい感情表現が次第にヒートアップしていく。その様が静謐な環境の中において、グッとハムレットの存在が浮かび上がらせることに貢献している。時には空回りしているかのような在り方も、彼の哀しみを増幅させるのに大いに役立っている。明晰な台詞廻しも心地良い。

 オフェーリアの黒木華が絶妙だ。育ちの良い可愛がられた育ったお嬢様役を自らに引き寄せ、ナチュラルなオフェーリアを造形していく。演出意図にも合致しているのではないか。しかし、あの狂乱してしまうあのシーン。凄い。それまでのパーソナリティと決して乖離することなく、精神が脆くも崩れ堕ちていく憐れを体現し、思わず涙を誘われることになる。

 ガートルートを担う松雪泰子の艶やかさが作品にキリリとした色香を放っている。しかし、前王の弟の妻に納まっているという後ろめたさのようなものは希薄で、自らが選択した人生であることに堂々としている風に見える。この辺の解釈が面白い。これは福井貴一演じるクローディアスにも通じるパーソナリティである。自らの生き方は自らによって決めていくのだ。運命というものに翻弄されきることのない、個人主義を標榜しているのが英国の演出家の資質なのであろうか。

 地に贖い、天に台詞を謳い上げていくなどのシェイクスピア作品とは一線を画す、非常に現代的なタッチで描かれた「ハムレット」だと思う。ここで行われていることは、決して特殊なことではないのだ。ヨーロッパの香りを残しつつ、現代の観客をシェイクスピアの世界に誘う、新たな挑戦を目の当たりにして名戯曲の懐深さを可能性に感じ入ることになった。


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