劇評377 

18世紀の喜劇が現代に軽やかに蘇る様を目撃できたことが幸福に思える逸品。

 
 
「恋のヴェネチア狂騒曲」

2019年7月6日(土) 晴れ
新国立劇場 中劇場 18時30分開演

作:カルロ・ゴルドーニ
上演台本・演出:福田雄一

出演:ムロツヨシ、堤真一、吉田羊、
賀来賢人、若月佑美、池谷のぶえ、
野間口徹、粕谷吉洋、大津尋葵、
春海四方、高橋克実、浅野和之

場 : 新国立劇場中劇場は客席がすり鉢状なので、比較的どの席からでも観やすいです。今回、1階席の最後列の席だったのですが、役者の顔もきちんと拝め、舞台の全体を把握することもでき、なかなか良かったです。

人 : 満席御礼です。抽選で当日券も販売されているようです。お客さんは女性客がやはり多いですが、若い男性客の姿が目立つのは、もしかしたら「今日から俺は!!」効果なんですかね。

 18世紀のイタリアの喜劇作家・カルロ・ゴルドーニの上演作品を観劇するのは、2014年の「抜け目のない未亡人」以来である。カルロ・ゴルドーニ作品は、肩ひじ張らない軽妙な喜劇が何とも楽しく、演劇の面白さをたっぷり味あわせてくれるワクワク感に満ちている。本作も観る前より、楽しもうという前のめりな気持ちが先走り、期待を込めて劇場へと足を運ぶことになる。

 座長が旬のムロツヨシであるのも、期待感が高まっていく大きな要因だ。堤真一や吉田羊などベテラン俳優陣を脇に従え、厚みのあるキャストの布陣が組まれているのも魅力的だ。こういった意外性にもサプライズ感があって、嬉々としてしまう。

 同作の原題名は「二人の主人に仕えた召使」だというが、物語の骨子は、この題名そのものである。二人の主人に仕えて二倍の給料をせしめようと企むのが、ムロツヨシ演じる召使。二人の主人は、堤真一と吉田羊が担っていく。また、この主人も表の顔と裏の顔が混在する大分入り組んだ設定となっているため物語はこんがらがり、なりすましや取り違えなどによって巻き起こる可笑しみが、笑いとなって上手く昇華していくのが気持ちいい。

 この混線した物語の上演台本と演出は福田雄一が受け持ち、結構ベタな笑いを、ある種のハートウォーミングなシチュエーションへと転化させていく匙加減が絶妙であると思う。

 そんな手綱捌きの下で、堤真一と吉田羊のほかにも、池谷のぶえ、野間口徹、春海四方、高橋克実、浅野和之などの重鎮たちも、個性を全開にしつつも微笑ましさを湛えソフィスティケートされた演技で魅せていくが、賀来賢人の弾けっぷりはやはり突出している。観客も賀来賢人にその破天荒さを期待しているのだから、需要と供給のバランスが取れているということになるのであろう。もはや名人芸の一種だといっても過言ではあるまいか。

 勘違いがどんどんと繰り広げられ、物語をグイグイと牽引していくが、大団円へと向かってこんがらがっていた紐が解きほぐされ、皆が段々とハッピーになっていくのが心地良い。その物語の中心に屹立し幸せオーラを振り撒くムロツヨシの存在が、本作に丸みを帯びた柔らかなタッチを付与させていることに相違ない。座長の色がクッキリと作品に刻印されていく。

 難しいことなど何一つなく、ただひたすら舞台で展開されていることに一喜一憂しながら、旬の俳優陣をナマで楽しめるだなんて、まさに演劇の醍醐味だ。こういう作品に出合うと演劇に夢中になっていくのでしょうね。18世紀の喜劇が現代に軽やかに蘇る様を目撃できたことが幸福に思える逸品であった。


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