劇評50 

綺麗で猥雑で可笑しいことが満載な、2時間ノンストップ喜劇。


「間違いの喜劇」





2006年2月10日(金)晴れ
彩の国さいたま芸術劇場大ホール
午後7時開演

演出:蜷川幸雄 作:W・シェイクスピア
出演:小栗旬、高橋洋、内田滋、月川悠貴、
   鶴見辰吾、吉田鋼太郎、瑳川哲朗
場 : ロビーに入ると、笠松泰洋氏ら音楽家が演奏をしている。和やかな雰囲気を醸し出す。会場に入ると、舞台上には、16世紀イタリアのテアトロ・オリンピコの正面を模した装置が設えられ、壁面が全て鏡張りのため、観客席を映し出している。昨年7月の歌舞伎座公演「NINAGAWA十二夜」を彷彿とさせる。
人 : 満席。補助席が出ていた。やはり女性が圧倒的に多い。年配の女性が小栗旬のエッセイ集を買ったりしている。幅広いファン層なんですね、小栗クン。芝居開始直前に、会場下手最後方の一角に蜷川氏の姿が現れ、舞台の進行を見守っている。

 音楽隊の演奏に乗って会場奥の扉から役者陣が現れ、会場通路を通って舞台上へ。最後に、小栗旬が駆け上ってきての、一同そろい踏みの開幕で、既に、拍手が巻き起こる。お祭りのような楽しい幕開きだ。




 トルコのエフェソスに流れついた、敵対するシラクサの民イジーオンが捕らえられ、その行状を語り始めるところから物語は始まる。当時、国交の途絶えた敵対する国の民が自国に現れた場合、その者は、死刑または財産没収という罰が与えられていたのだという。吉田鋼太郎演じるイジーオンが、この物語の経緯を語っていくのだが、その朗々と謳い上げる台詞回しに思わず聞き惚れてしまう。数分に渡る長台詞なのであるが、赤ん坊の泣き声や叙情的な音楽をポイントポイントに効果的に配しながら語られるその光景が、まるで目の前に立ち現れてくるようなのだ。感情で語りながら、物語を伝えるという、ともすれば相反するような手法が同時に存在しているという事実に、驚愕してしまった。




 生き別れていた2組の双子が、偶然にも同じ町でニアミスをし続けることで、周りの人々が振り回されていくという、行き違いの顛末を楽しむ喜劇。これを、全員男優だけで演じていく。淑女を演じるのも男。これも、また、可笑し、である。一昨年の「お気に召すまま」も全て男優で演じられたが、その時のような、「女の身でありながら男を装う演技をし続ける役を演じる」男優などという、観る者にも想像力を求められるようなねじれた設定などでないため、今回は素直に楽しめた。




 2組の双子を演じる小栗旬と高橋洋は、ほとんど出ずっぱりである。しかも、2役を演じるのだから、テクニックと同時に、体力も限界まで振り絞らなければならない。小栗旬は、語り口も明晰に、2役の性格を明確に使い分け、楚々とした清々しい印象を放つ主役の華やかさで、物語を牽引していく。高橋洋は道化師のような出で立ちで、コメディリリーフとして無声映画時代の喜劇役者のような滑稽な動きを追求していく。また、転ぶ音や叩かれる音などが、ナマの効果音で出され、まさに、コメディ!主人に翻弄される何にも考えていない従者の右往左往振りが、可笑しくて堪らない。




 内田滋と月川悠貴の姉妹も楽しい。月川悠貴の女形は度々であるが、状況を客観的視点で見て冷静に放つ台詞などに、思わず笑ってしまう。内田滋は、まず、見た目が綺麗である。男臭さが薄いため、役柄に変な違和感を与えないということもある。但し、おいしい役どころでもあり、時に図太い声で啖呵を切るなど、緩急自在に女と男を使い分けるところなど、なかなか達者な曲者である。鶴見唇吾の尼僧院長も堂に入っている。離れ離れでいた夫、吉田鋼太郎との邂逅なども、説得力ある表現で、観客の心をホロッとさせてしまう。




 全てが明らかになるラストで、2組のカップルと父母が、抱き合い口づけするシーン。カップルの口から吐き出される赤いリボンで、2人の口と口は繋がっていく。かつての「王女メディア」で、メディアとコロスが吐き出すものと同じである。この以前の手法を引用したということには、新鮮な驚きは感じられなかった。しかし、喜劇の面白さを多面的に成立させた蜷川幸雄の手腕は確かである。前述した、役者のそれぞれにアプローチの違う方法にて、最大限にその魅力と力を引き出させることに成功しているし、舞台上下に居続ける2〜3人の町の人々の存在が、演じられる舞台の虚構性を浮き立たせ、この大雑把な話の「在り方」を、説得性を持って伝えてくれた。





 綺麗で猥雑で可笑しいことが満載な、2時間ノンストップの本公演は、台詞だけに頼らないというシェイクスピア喜劇のひとつの提示の仕方の指針となったのではないか。シェイクスピアを知り尽くした蜷川であるからこそ、あらゆる様式や方法を随所に盛り込むことで、作品全体にふくよかな「豊かさ」を与えることを成し得たのではないだろうか。喜劇の醍醐味は、笑えること。これは、相当な芸の積み重ねがあって始めて生まれてくるものなのである。そこを、重層的に構築していく。いろいろなアイデアで楽しませていくのだ。なんと、いっこく堂指導の腹話術までが披露されるのだ! 昨今跋扈する、薄い一枚岩の笑いに発破も掛けているのかもしれない。やはり、文化は、広く、深い、のだ。