劇評60 

演出の最終チェックのないままに提出されたような、未完成品。

「あわれ彼女は娼婦」







2006年7月8日(土)晴れ
シアターコクーン 午後7時開演

作:ジョン・フォード 演出:蜷川幸雄
出演:三上博史、深津絵里、谷原章介、石田太郎、
立石凉子、梅沢昌代、高橋洋、月影瞳、戸井田稔、
妹尾正文、鍛治直人、たかお鷹、中丸新将、
有川博、瑳川哲朗
場 : 場内に入ると舞台上には黒幕が下りていて、ステージは覆い隠されている。期待感が高まる。
人 : 人:満席。立ち見もぎっしり。男性比率が高いかも、3割程度かな。年齢層も高め。30代・40代が中心かな。

 全く感動することが出来なかった。ステージで行われていることは、全くの絵空事で、何のリアリティもない。まあ、舞台は所詮、虚構ではあるのだが、それが、虚構のまま終わってしまっている。




 本作はいろいろなエピソードが重なり成立している話であり、そのバラバラとしたエピソードをどう絡め、怒涛の終幕に向けて堕ちていくのかを観たいところであるが、それぞれの役者が他のシーンにまで凌駕するパワーを持ち得ることが出来ず、出番が終わると余韻も残さないまま、次のシーンへと展開していくので、ブツ切れのオムニバスを観ている印象すらある。




 しかし、何よりも、兄ジョバンニと妹アナべラの禁断の近親相姦が、物語の機軸である。その二人から、もう、愛し合って好きで好きで仕方が無いという感情の排出を、ついぞ最後まで感じることが出来なかった。だから、物語全体を引っ張り上げる求心力を発揮出来ず、物語は空中分解したままなのだ。




 三上博史演じるジョバンニは、本当に妹アナべラが好きなのか? 最後まで、そこが良く分からないのだ。ロミオとジュリエットにも良く比較対象される本作ではあるが、深津絵里はジュリエットのように無防備に感情を露わにしていくのだが、三上博史は、ロミオと言うよりも、ハムレットのようになってしまっていた気がする。愛というよりは、叶わぬ障害に悩み苦しむ心情が全面に出てしまい、何処かで感情を押し殺してしまっているのだ。これは、解釈というより、三上博史という役者の資質なのではないだろうか。だから、どの場面でも、ひっそりと佇み、また、立ち去って行くのだ。決して、外に向けて感情を放出することがあまりないので、心情が良く分からない。




 一番印象的なシーンは、アナベラが妊娠したことが発覚し、怒り狂う夫ソランゾを演じる谷原章介と深津絵里のバトルのシーンだ。お互いがストレートに感情を剥き出しにして、相手に喰って掛かる。複雑な感情でも何でもないのだが、ここまでの熱いパッションが、それまでのシーンで全く感じられなかったため、ハッと目覚める感じすらした。また、前半登場する、高橋洋は嬉々として楽しいが、他の人々と明らかにトーンが違うため、浮いてしまっていたと思う。




 バッタバッタと人が死んでいくのだが、剣で人を殺す時の、あの、グサッという音響がやたら耳につく。しかも、ボリュームが大きいので、一瞬、ギャグかと思うほどだ。音で言えば、パーティーのシーン。ガヤガヤとした人の話し声も、明らかにそこに居る人々以上の声が音響で流れるのだが、これまた大きな音なので、見た目とのギャップは甚だしい。




 荒れ狂うジョバンニが妹を殺め、無軌道に人を殺しまくり、殺される終焉。もう、ここまでくると、何が何だか分からない。世界を覆う壁をぶち破ろうともがいている故の行動であるとは分かるのだが、妹との関係性が希薄であったため、ただの狂ったアナーキストにしか見えない哀しさすら、漂わせる。




 人の出はけの間延びした感じといい、前述のそれぞれの役者たちの演技のバランスや音響の問題など、演出家の最終チェックを受けずに提出してしまった未完成品であるような気がする。「あわれ」である。