劇評111 

リアルとファンタジーが融合された「ロマンス劇」の感動作。

「冬物語」








2009年1月16日(金)晴れ
彩の国さいたま芸術劇場大ホール
午後6時30分開演

作:W・シェイクスピア
演出:蜷川幸雄
出演:唐沢寿明、田中裕子、横田栄司、
   長谷川博己、藤田弓子、六平直政、
   瑳川哲朗
 
場 :  平日に都内から与野本町まで向かうのは、予定の調整とかも必要で結構骨が折れる。また終演時間も問題で、事前に10時終わり位と聞いていたので、10時15分発の電車には乗りたいなとアタマで予定を立ててみる。結局、横浜方面の自宅に着いたのは12時近くだった。都内横断ですもんね。
人 : ほぼ満席。年齢層は高めですね。40〜50代が中心といった感じ。ご夫婦らしき方々が多いかな。おひとりで来ている女性も目立ちます。


  「冬物語」を舞台で見るのは初めてだった。シェイクスピア作品の中では「ロマンス劇」というジャンルで括られているが、ファンタジーに近いおとぎ話のような展開である。かなり無理目な設定を、どう見せていくのか手腕の問われるところであろうが、そこは蜷川演出。マジックのように、この古色蒼然とした物語を、活き活きと現代に甦らせてくれた。

 


  腹の底から叫ぶような、大陸的で牧歌的でもある女性の詠唱が鳴り響くと、唐沢寿明演じるシチリア王・レオンティーズと田中裕子演じる王妃・ハーマイオニ、そして、王の盟友、横田栄司演じるボヘミア王・ポリクシニーズ、の3人が現われてくる。背景は舞台3方がフレスコ画のような大きな絵が描かれた赤っぽい壁で囲まれている。そして、王ふたりが手に持つ紙飛行機をフッと飛ばすと、2つの紙飛行機は頭上高くクルクルと旋回して回り始める。幼少期からの知り合い同士であるこのふたりの強い絆というものが一気に可視化され、観客の心はグイと鷲づかみにされる。紙飛行機と凧という相違はあるが、今や007監督となったマーク・フォースターの昨年公開作品「君のためなら千回でも」を少し彷彿とさせられた。

 
 


  シチリア滞在の延長を懇願しても訊かなかったポリクシニーズが、ハーマイオニには説得されたことに端を発したのか、レオンティーズはふたりの関係を疑い始める。いや、元々何かでそう疑っていたのであろうか。嫉妬の嵐に見舞われるレオンティーズは、開幕後すぐに、ハーマイオニを不義密通の罪で訴えることとなる。唐沢寿明は、この匙加減の難しい気持ちの起伏を重層的に重ねていきながら、疑念ではなく確信を持って訴えたのだという強力なパワーにて、説得力ある感情を紡ぎ出す。また、田中裕子の凛とした王妃の品格もまた美しい。冷静に状況を見据えながらも、決して感情には流されないという強固な意思を貫き、王妃としての威厳を見せつける。

 


 事の展開は悲劇を生み、悪しき顛末を迎えることとなる。そして、そこから16年の時が過ぎることとなる。2幕目の冒頭を飾る、この16年の顛末を語る独白のシーンもまた見事である。ひとりの役者がまるで胎児が起き上がり成長していくような動作を見せながら、顔に幾重にも装着していた仮面を台詞に合わせて剥いでいくことで、一気に16年を駆け抜けてみせるのだ。16年を経て、主な舞台はボヘミアへと移行する。シチリアの赤いイメージとは打って変わって、ブルーの色彩がアクセントとなっている。ここで、羊飼いに拾われていたシチリア王の娘・パーディタの成長を目の当たりにすることになる。この娘を、二役で田中裕子が演じている。凛とした気品はそのままに幼さの残る純朴さを醸し出し、ハーマイオニとは全く別の人物造形を生み出した。恋する相手は、長谷川博己演じるボヘミア王子・フロリゼル。運命の糸が絡み合い大きなうねりとなって、ひとつの結末へと終焉していく。

 


 ボヘミア王の反対に合った若いふたりは、家臣の計らいによってシチリアへと駆け落ちすることになる。ここで、シチリア王と対面し、もつれた運命の糸がほぐれ全てが白日の下に晒されることになる。そして、16年前に自害していたはずの王妃が実は生きていたことも判明する。まあ、凄い展開と言えば凄い展開ですよね。この辺のおおらかさと言うか、ご都合主義と言うか、このビックリするような展開を、鉄壁の役者陣はロマンス劇として完全に昇華させていた。リアルとファンタジーの合間に、ピッタリと存在している訳です。藤田弓子の母性溢れる温かさ、六平直政の浅薄な滑稽さ、瑳川哲朗の小気味いい小悪党振りなど、それぞれ役者たちが、十分に持ち味を活かし嬉々として演じている姿がまた楽しい。




  シチリア王が家臣に向かい、何処か静かな場所を用意してくれ、王妃とこれまでの顛末をゆっくりと語り合いたいのだと言う言葉に、何故か涙してしまった。以前とはまるっきり変わってしまったシチリア王の、深い愛情、溢れる思いを、その言葉の中に感じてしまったからだ。人は、優しさに弱く、また、癒されるのであろうか。エンディングもまた、紙飛行機が旋回するシーンで幕を閉じる。運命とは回り続ける紙飛行機のようなものなのであろうか。まるで神の大きな掌の上で遊ぶ人間を弄ぶかのような幕引きも、また楽し、である。