劇評154 

人生の復習は復讐を断ち切るためのレッスンだと気付かされる、後引く旨さが残る逸品。


「抜け穴の会議室」
 

2010年12月19日(日) 晴れ
PARCO劇場 17時開演

作・演出:前川知大 企画:チーム申 
出演:大杉漣、佐々木蔵之介

場 :  早めに着いたので地下1階の本屋でしばし散策をしていた後、エレベーターでPARCO10階の劇場に上っていくことになった。地下から乗るのは、1階でギュウギュウになって待つよりスムーズだということに気付きました。開演を待っていると、市川亀治郎と仲村トオルそれぞれのナレーションが流れてきます。自分は今回声を掛けられなかったのに、何で、ナレーションなんかさせられているんだ、といった洒落の効いたトーンで観劇前に注意を促し、会場内にクスッと笑いが起こり、会場が温かな雰囲気に変質していきます。
人 :  ほぼ満席ですが、若干空席があります。客席の雰囲気は、熱い!です。観る前から前のめり感があるというか、作品、あるいは役者との間にインティメートな関係性が出来上がっているようです。チーム申を初演時から応援してきている方々の気が会場内にこもっています。期待感満々といったところです。

 佐々木蔵之介がプロデュースするチーム申は、前回に引き続き、前川知大の作・演出作品を引っさげてPARCO劇場に還ってきた。作品は3年前に同カンパニーで上演された作品に手を加えたものだということ。それ以外の事前知識は無いまま、作品と接することになる。

 舞台上には無機質で地下牢のような、堅牢な部屋らしき空間が広がっている。壁には隣の部屋へと通じる幾つかのドアと、多くの書物が中央に堆く積み上げられ、周囲の壁にも多くの本が立て掛けてあるので、書架のような雰囲気も醸し出す。そこで展開されるのは、輪廻転生の話。ぽつねんと登場する大杉漣と佐々木蔵之介であるが、過去、幾たびか、違う姿で出会い、深い関係性があったということが、物語が展開していく内に、だんだんと紐解かれていく。

 キーとなるのは、周囲にある書物。そこには、これまで、何回にも渡り生死を繰り返してきたその時々に、この二人がどのように生きてきたのかが記されているようであり、二人がその書物に同時に手を触れると、その時代へとタイムスリップしていくという仕掛けになっている。医者であった佐々木蔵之介と、どうやらその医者と何らかの関係があった大杉漣とが、出会い、そして再会するという幾つかの段階を経ることで、だんだんと過去の出来事が露呈されていく。単なる接点などではない。実に深い、しがらみ、である。SFチックな設定であるが、だんだんと無意識へとダイブする心理劇の様相を呈していく。

 この独特の世界観を作り上げるために、企画者である佐々木蔵之介と作・演出を受け持つ前川知大とが創作過程で拮抗し合い、双方のクリエイティビティーを最大限に引き出し合っているのが見て取れる。これに大杉漣が加わることで、さらに良い意味での緊張感が加味されていく。演出家が作品コンセプトを設定し役者を指導していく作品というのは数多く見掛けるが、こうした共同作業の体を示す演劇作品の肌触りは、知力が感じられるところが面白い。アイデアを搾り出している感が作品全体から溢れ出てくるのだ。そうすると観ている私たちの知的興奮も大いに掻き立てられることになる。この知性が、チーム申の醍醐味であると思う。

 そして、美術、音楽、照明、音響、衣装など各スタッフたちも、その才能を遺憾なく発揮していくことになる。演出家の要望にどう応えるかという方向性だけではなく、それぞれが作品全体を自分の視点で捉える中で、自分のパートをどう構築していくと作品のクオリティーがアップしていくかという思いに執心しているようなのだ。故に、バランスの良い絶妙な均衡を作品に与えることになる。こういったスタッフワークは、観ていても実に心地良い。

 物語が展開していく内に、二人は、前々世では親子であったことが分かってくるのだが、そこで起こった痛ましい事件が確執となって代々連鎖していたことが判明する。人生の復習をするということは、復讐を断ち切るためのレッスンとなっていくのだ。作品を観ながら、自分が、今、此処に存在しているという意味を自らに問い直していくことにもなる。静かに心に染み込んでくるこの寂寥感と、それと相反するかのような希望に満ちた未来が同時に襲ってくる。

 ラストシーンが印象的だ。もう次の世代では俺に関わるなと言い合った二人が、これまでとは全く違う姿で渋谷のスクランブル交差点ですれ違うのだ。ふと、何かを感じ合う二人だが、スッとすれ違い、そして、離れていく。そうだ、皆、どこかで繋がっていたのかもしれないし、それに気付いていないだけなのかもしれないのだ! そこに、世の理の不可思議さと驚異を感じつつ、精神をシャッフルされたかのような心地良い余韻は、帰路、渋谷駅前のスクランブル交差点で、ふと、甦ってくることになる。後引く旨さが残る逸品である。