劇評156 

沢山のピースを当てはめパズルを完成させるような知的興奮が味わえる、
エンタテイメントの逸品!


「ろくでなし啄木」
 

2011年1月8日(土) 晴れ
東京芸術劇場中ホール 18時開演

作・演出:三谷幸喜
音楽:藤原道三
出演:藤原竜也、中村勘太郎、吹石一恵

場 :  東京芸術劇場中ホール、結構、キャパはあるのですが、入場はスムーズですね。ロビーのあるクロークに列が出来ています。やはり、クロークはあると便利ですよね、冬場、コートが必要な季節などには。会場内に入ると、緞帳はなく、既に舞台セットが見えています。センターにアクティングエリアが設けられ、十字にその舞台が延びているという構造です。3人芝居ですが、この舞台構成は、観客の意識を集中させるために効果的な造りになっています。上手いなあと思います。
人 :  満席です。客層は様々です。三谷幸喜作品は、常に老若男女の観客を集めていますよね。どうしても芝居は女性観客が多くを占めている中、チケット争奪戦は激しいとは思いますが、男性も頑張って奪取しているんですね。男も観たい演目ということなのでしょう。余談ですが、パンフレットに掲載されている、主演3人に写真が凄くいいです。撮影は繰上和美氏です。何ていうのかな、役者陣から、悪と艶の両面を上手く引き出しているんですよ。格好良いです。

 本作はミステリーというカテゴリーに属するとは思うが、安易に殺人事件が起こるような典型的な物語へと、三谷幸喜の筆致が陥ることはない。多分、きっと正解などはない、また、コロコロと変貌を遂げていく人間心理の奥底に分け入り、その真髄を掴み出していく、その過程が実にスリリングに描かれていくのだ。且つ、真相がだんだんと紐解かれていくという展開そのものが、まさにミステリー仕立てになっていく。

 役者は3人だけ、設定は東北の温泉旅館という限られたシチュエーションの中で、特に大掛かりな仕掛けを弄することもなく観客の興味を引き付け、最後の最後まで飽きさせることなく謎を投げ掛け続けていく戯曲の精度が実に高い。また、モノローグで物語を進行していくという手法は三谷作品には珍しいが、その客観的視点が、我々観客に対して、登場人物たちと共に「真実の探求」を共有していくという効果を生み出すことにつながっていく。

 三谷演出はシンプルなのが常であるが、本作は部屋の襖を開閉させることで場や時間を跳躍させたり、ある果物に人間の記憶の曖昧さを象徴させるポイントをさりげなく配していくなど、戯曲を書いた本人が演出するという強みを最大限に生かした趣向に満ち溢れている。また、音楽が藤原道三ということが、作品にグッと独自のクリエイティビィティを付け加えることになる。ジャージーな旋律が、和でありながらもモダンさを表出させ現代とのブリッジ役を果たしていく。

 役者もイキのいい御仁が揃った。本作は、藤原竜也が、三谷幸喜への作品制作を懇願したのがきっかけとなった6年越しの企画だということだが、結果、3人芝居にしたという三谷幸喜の判断に、役者発信の企画への返歌が見て取れる。氏は、とことん役者の力を出し尽くすために、敢えて登場人物を限定したのではないだろうか。共演は盟友・中村勘太郎に、「新撰組!」でも共演していた吹石一恵。気心も知れた若手実力派の競演は、緻密に構築された戯曲世界に、ハチャメチャにパワーを全開させて対峙することで、生き生きとした人物像を立ち上らせていく。

 中村勘太郎の軽妙洒脱な立ち振る舞いが絶妙に面白い。弾ける、弾ける! しかし、寸でのところで、グッと魅せる芝居へと引き戻し、観客の目を捉えて離さない。歌舞伎のみならず、さまざまなフィールドで培ってきた切り札を、手を変え品を変えこれでもかと叩き付けてくる。今さらながら、演技の抽斗が実に多いということに、改めて感じ入ることにもなった。勘三郎に近いオーラさえ、放たれている気がした。

 藤原竜也は、純粋で実は小心者ではあるのだが、クリエーターの強烈なエゴをも内包するという裏腹な、しかし、物語のキーとなる役柄の核をしっかりと踏まえながら、石川啄木を嬉々として演じ、巧みである。この無垢そうな見た目があってこそ、この物語は成立するという理解の下の高飛車振りが、観ていて気持ちが良い。

 吹石一恵は初舞台と思わせない堂々とした存在感を示している。変に舞台慣れしていないということが、逆に新鮮な魅力となって、アンサンブルの1辺をしっかりと担っていく。また、曲者二人を相手に互角に渡り合うその姿に、舞台人としての資質が溢れ出ていることにも気付かされることになる。

 細部に至るまで計算し尽くされた三谷幸喜の手捌きは、まるで沢山のピースを当てはめて、1つのパズルを完成させていくかのようであり、観客は、その完成する姿を想像しながら物語を追い掛けていくという知的興奮も味わえることになる。思考を強要されることは決してないのだが、いつの間にか好奇心を掻き立てられているという、作り手の術数にまんまとはまってしまうことになる。その、徐々に巻き込まれていく感じが、また、何とも心地良いのだ。上質なエンタテイメントを、たっぷりと堪能することが出来る逸品であると思う。