劇評194 

デヴィット・ルヴォーの手により、魔法のように傑作として甦った。

「ルドルフ ザ・ラスト・キス」

2012年7月7日(土) 雨
帝国劇場  17時30分開演

原作:フレデリック・モートン
音楽:フランク・ワイルドホーン
脚本・歌詞:ジャック・マーフィー
演出:デヴィット・ルヴォー
装置:マイク・ブリットン
振付:ジョン・オコネル
出演:井上芳雄、和音美桜、吉沢梨絵、坂本健児、
    一路真輝、村井國夫、他

場 :  帝国劇場は久し振りの来場です。このデカさと豪華さを兼ね備えた劇場は、やはり、芝居を観に来たなという“ハレ”感がありますね。物販も充実しているし、一種の観光地とも言える様相です。

人 :   7〜8割位の入りでしょうか。大箱ですし、集客は、なかなか難しいようですね。帝劇、ミュージカルということで、やはり、客層は圧倒的に女性が多いです。男性は、奥様のお付き合いといった感じでしょうか。一人来場者も結構目立つ感じです。

 2008年に上演された宮本亜門演出版も観ているが、全く作品の印象が異なっていることに驚いた。面白かった。グイグイと舞台に引き込まれていった。

 ミュージカルではあるのだが、デヴィット・ルヴォーの演出はストレートプレイばりの精緻な人物造形を俳優たちに課している。それぞれの人物が抱える悩みや、無意識下に沈んだ思いなどと俳優陣がキッチリと向き合い、ミュージカルの真骨頂である歌に思いのたけを集約していくため、感情がどのシーンにおいても途切れることなく、突然始まる歌にも違和感を感じることはない。皆が、その役を生き抜いているのだ。

 物語はスピーディーに展開していくのだが、作品自体はその速さに決して引っ張られることはない。あくまでも、人間が主体として描かれていくため、物語が表層的に展開していくことはなく、次のシーンへと果断なく感情が繋がっていく。そして、そのストーリーを無理なく見せるために大いに貢献しているのが、マイク・ブリットン手による装置である。

 上から吊るされた真紅のカーテンが縦横無尽に動き、ある時はパーソナルな空間を造るための間仕切りとなり、また、登場人物たちの歩くテンポに合わせて幕を移動させながら、次の場面へとブリッジさせる役割なども担っていく。そして、ステージの盆が二重に動くため、別次元で高らかに愛を歌い上げる2人が交互の盆に載って近付いたり、また、遠避かったりするなど、登場人物たちの感情を高め合い、交錯させていくという効果も生んでいく。

 装置自体の造形にも、ヨーロッパの感覚が随所に盛り込まれているところなどは、日本人の感性とは大いに様相を異にする。踊り場の付いた階段の造作などは、金属の無機的な質感に拠ることなく、欄干の微細に渡る細かな模様が施されているため、優雅な仕上がりになっている。また、女性陣がドレッシングルームから一斉に出て来るシーンがあるのだが、ドレッシングルームが半円形上に並んで設えられている様は「パリの恋人」冒頭のシーンにあるサロンを彷彿とさせられる。

 壁がシャッターのピントを合わせるかのように縦横に動き、漫画の1コマの様に登場人物をクッキリと切り取る仕掛け。また、首相の執務室も一部分しか舞台上では出て来ないのだが、天高のある石造りの古風な西洋建築であることが想像できる空間作りが成されるなど、感情と情景を渾然とさせながらピックアップしていくため、観る者は、場のリアルさと、目に見えない気持ちとの狭間で揺れ動く術中へと嵌っていく。

 ジョン・オコネルの振付も素晴らしい。時に、ミュージカルにおいて、マスゲームのような、一糸乱れることのない全く同じ動きをするダンスシーンなどに出くわすこともあるが、個々人の個性を際立たせた本作の振付は、何よりも自然であり、敢えて皆が同じタイミングを取らず、多少のズレを表現していくなど、ここでも登場人物たちの感情が置き去りにされることはない。

 音響に効果も特筆に価する。デヴィット・ルヴォーは、瞬時にその場がどういう場であるのかを、音を使って表現していくのに長けているが、パーティー、酒場、スケートリンクなど様々なシーンにおいて、その場にピタリと合った効果音が流れることにより、一瞬にして前のシーンとの区切りをキッチリと付けていく。

 全てのパートに渡り、デヴィット・ルヴォーの目が光り、最上のクオリティーをスタッフたちから引き出していく。

 役者陣も、また、役に生き、その思いを観客に叩き付けてくる。井上芳雄が実にいい。胸に秘めたる熱い思いを、全身全霊を込めて観客に対し叩き付けてくるその歌声に、ついつい涙してしまうとはまさか思わなかった。その熱量が半端じゃないのだ。こんなに苦しい思いをストレートに訴え掛けられたら、その思いをしかと受け止めるしかないではないか、と思わせる迷いのない誠実さにノックアウトさせられた。

 和音美桜と坂本健児が論争で対峙するシーンなども大いに見所がある。全く違うスタンスで、それぞれが真剣に相手に自分の思いを伝えようとしてバトルするパワーが半端ない。吉沢梨絵の屈折具合も多面的に描かれるため、妻としての哀しみが浮き彫りにされ、村井國夫の偉丈夫が揺るがぬ壁となってルドルフの前に立ちはだかるが、これも立場ゆえの選択であることが伝わるため悪役に陥ることはない。酸いも甘いも知り尽くした女の余裕と諦めを退廃的に演じる一路真輝の存在が、作品に華やかな彩りを添える。

 デヴィット・ルヴォーの手により、魔法のように傑作として甦った本作は、演出家の力量の違いというものを、まざまざと見せ付けてくれる絶好の機会となった。感服したのと同時に、とにかく面白かった、と言える逸品だ。