劇評227 

サム・シェパードが描く世界から、見事にその“魂”を搾り出すことに成功した傑作。

 
「トゥルー・ウエスト 〜本物の西部〜」

2013年9月29日(日) 晴れ
世田谷パブリックシアター 15時開演

作:サム・シェパード 演出:スコット・エリオット
出演:内野聖陽、音尾琢真、菅原大吉、吉村実子

 
  

場 :   エントランスでは当日券が販売されていますね。チケットをもぎり劇場ロビーに入ると、自由にお取り下さいといった体で、チラシの束が置かれています。初日ということもあるのか、ロビーには人が溜まり、賑やかで活気があります。

人 :   ほぼ満席です。外国の方が目立つのですが、演出家の関係者の方でしょうか。お客さんは、女性客比率が高いですね。内野聖陽、音尾琢真ファンが多いようです。年齢層は40歳代がボリュームゾーンな感じです。

 サム・シェパードが筆致する、アメリカ“西部”の兄弟を核とする男の生き様が、演出家・スコット・エリオットの手綱捌きにより、実に見応えのある逸品に仕上がった。いやあ、面白かった。当たり前のことではあると思うが、演劇における演出家の重要さを、本作に接することでヒシと感じることになった。

 開場時、舞台の緞帳は上がっており、とある家のキッチンと、そこから繋がる居間のセットが設えられているのが微かに見えている。会場内には、こおろぎの鳴く音色が響いている。物語が始まる前から、観客の気分を舞台に摺り寄せていく、あざとさの感じられないナチュラルな一手に感じ入る。

 明かりが入り、内野聖陽と音尾琢真が舞台に現れ、物語の幕は切って落とされた。二人は兄弟。兄の内野聖陽、リーは風来坊、弟の音尾琢真、オースティンはシナリオライターという設定だ。下手側の居間のテーブルにはタイプライターを前にしたオースティン、上手側のキッチンにはたゆたう様なリーが定位置として対峙することになる。煌々とした明かりの下のオースティンと、キッチンの暗がりに佇むリーとの姿に、今、二人が居る状況が無言の内に指し示される。

 母の実家で家族と離れ執筆作業に没頭するオースティンの下に、ふらりとリーが舞い戻ってきたというシチュエーション。母はアラスカ旅行に出掛けているため、不在である。父は家を出ており、兄弟2人との折り合いも良くないと見て取れる。リーの風来坊気質は、どうやらこの父から受け継いでいるようだ。

 休憩を挟んで約2時間半、ほぼ、この二人だけで、本作は展開されていく。凝縮された濃密な時間が繰り広げられていく。兄弟二人の生き様を通して、“男”というものが抱える様々な葛藤が描かれ、ズキリと心に突き刺さる。

 社会的地位の獲得、有名になって金を稼ぎたい、よき家庭を持ちたいという願望を実現していこうとする反面、根無し草の様に自由に生きてみたいという希求を内包する、“男”が孕む真情などが浮き彫りになり、正反対にも見える兄弟が、まるで合わせ鏡のように己を照らし合う。マッチョを装い生きていく使命を背負った男たちの、矛盾した心の襞が1枚1枚引き剥がされていく。

 オースティンがプロデューサーを家に招き打ち合わせをしている場に、出掛けていたリーが戻ってくる。ひと悶着あるかと思いきや、リーはプロデューサーをゴルフへと誘うなどして親しげに取り入っていく。永年の企画が実現寸前のオースティンは、変な邪魔をして欲しくはないとやきもきし始める。と同時に、大事なクライアントとインティメイトな関係性を築いてしまう兄への嫉妬心も立ち上ってくる。しかもこの後、ゴルフに行った兄が口頭で語った物語を、プロデューサーが気に入ったという顛末へと展開していく。オースティンの苛立ちが、沸々と沸き起こっていく。二人の立場は一気に逆転する。

 クルクルと転回する物語の表層だけをなぞることなく、演出家の視点は、兄弟がその都度逡巡していく感情にピッタリと寄り沿うように注がれていく。兄弟の性格をステロタイプに捉えることなく、兄の中にある気弱さや、弟が抱え込む現状打破の意気なども、其処此処で掬い取っていくため、人物像が平坦にならず、それぞれの人間性そのものが浮き彫りになっていく。兄弟、同じ家庭環境に育っている訳であるが、その基盤もしっかりと通低音として鳴り響かせていくため、二人には血の繋がりがあるのだという強烈な説得力が生まれていく。

 子どもが悪戯でもするかのように、オースティンは近隣の家から幾つものトースターを盗むこととなり、リーは、探し物を見つけるためキッチンに収納されているものをことごとく引っ掻き回し、舞台は物が散在する状態となる。そして、母が予定より早めに帰国し、この惨状を見て呆然と立ち尽くす。スコンと母の客観的な視点が持ち込まれることで、昔日より変わらぬ兄弟の関係性が、さらにクッキリと浮かび上がる。

 兄のリーを演じる内野聖陽は粗暴な反面、繊細さを秘めた自由人を見事に造形する。男であれば、こんな生き方してみたいなと、絶対してみたくないという両義的な思いを抱かせる矛盾に満ちた役どころを的確に演じきる。

 一見、優等生に見える弟オースティンであるが、兄とは出自が同じ。兄が放浪する砂漠に一緒に向いたと断じるまでのプロセスを、違和感なく自然に魅せる音尾琢真の弟振りに、思わず感情移入してしまう。観客とのブリッジの役割を、そうと感じさせないナチュラルさで表現する。

 プロデューサーを演じる菅原大吉はゲイテイストの振り撒くことで、兄の企画に興味を移す、その心変わりの心情に説得力を持たせていく。母を演じる吉村実子は、傍若無人な男どもに囲まれ暮らしてきた“女”の、肝の据わった母性を滲ませリアリティを醸し出す。

 悩みながらも生きていく男たちの姿をその出自にまで遡り、迷走する想いを抉り出す、その繊細で大胆なアプローチが胸を打つ。サム・シェパードが描いた世界から、見事にそのエッセンス=“魂”を搾り出すことに成功した傑作であると思う。


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