劇評236 

等身大の人間が真剣に生きる様を描いた
悲喜劇として、「マクベス」上演に新たな側面を付け加えた。

 
「マクベス」

2013年12月15日(日) 晴れ
シアターコクーン 14時開演

作:W・シェイクスピア
翻訳:松岡和子
演出:長塚圭史
出演:堤真一、常盤貴子、白井晃、小松和重、
江口のりこ、横田栄司、市川しんぺー、
池谷のぶえ、平田敦子、玉置孝匡、福田転球、
斉藤直樹、六本木康弘、縄田雄哉、松浦俊秀、
井上象策、伊藤総、菊地雄人、山下禎啓、
中嶋しゅう、三田和代、風間杜夫

   

場 : シアターコクーン劇場内が大改造されています。通常であれば客席前部のエリアに舞台が造られています。そのステージを囲むように客席が設らえられています。役者陣は四方から観客も目に晒されることになります。また、観客も対面に陣取る観客の姿を遠目に見ながら舞台の進行を見守ることになります。いい意味で緊張感ある空間が出来上がっています。

人 : 満席状態で、少しだけ立ち見の方もいらっしゃいます。年齢層は50歳代以上の方が半数を超えているでしょうか。男女比では、女性がやや多い感じがします。何人かのグループで来場されている比率が高いですね。

 劇中では、幾つもの役柄を演じる市川しんぺーと福田転球、そして、その他数人の俳優陣が、開場中、ずっと劇場のセンターに設えられたステージ周辺に登場している。観客をウォッチし、時には誘導するなどして、劇場内に温かな空気感を生んでいく。しかし、今日の演目は、あの「マクベス」だよね、などと思いながら、開演を待つことになる。一瞬、串田和美が演出する、祝祭劇の様な雰囲気にも似ているなと感じていく。

  開演に先立つお知らせなども、市川しんぺーと福田転球が舞台上に乗り、案内していくことになる。そうすると、観客席の其処此処に散らばって座っている魔女を演じる女優たちから、早く上演しろ、などと言った野次が飛び、二人は囃し立てられていく。勿論、観客はそれが役者であるとは重々承知な雰囲気ではあるのだが、劇場内を一体化させようという演出家の意図が染み出てくる。但し、センターにステージがあること自体で、既に、そのことは明白なのではあるのだが。

 物語がスタートすると、時空は一気に作品世界へとワープするのだが、敢えて11世紀のスコットランドといった時代考証に拠ることのない衣装やヘアメイクにより、戯曲の中から普遍性を獲得していこうとするコンセプトも透けて見えてくる。長塚圭史は「マクベス」に生きる人間たちを、現代の人々にも親しみが持てる人物像として提示していこうとしている様である。しかし、手法としての新規さは、あまり感じられない。

 登場人物たちをプロセニアムの中の押し込めることなく、皆がギリギリに生きているその真剣な様相から、可笑し味を引き出していくことに、演出の興味は注がれていく。悲劇も、一旦、俯瞰してみれば喜劇であるといった客観性が面白い。そこで、観客とのブリッジの役割を一番に担っていくのは、3人の魔女たち。出番がない場合は、観客席に座り、観る者と同じ視点で「マクベス」の行方を見守っていく。物語の顛末を知っているという点においても、魔女と観客は一心同体だ。

 今の会社で例えて言うのならば、役員クラスの社長候補といった風なマクベスを造形する堤真一は、憎むことが出来ない悪漢を真摯に演じ、観客からある種の同情を獲得していく。マクベスがあまりにも人間的である故に、人ごとではないな、などとも感じていく。

 常葉貴子のマクベス夫人は、夫を叱咤激励しながら盛り立てていく、弱腰の気持ちに拍車を掛ける女の気迫をストレートに表現していく。見目麗しい姿も魅力的だ。しかし、表現が一面的過ぎて、心の奥底にある真情が見え難いということも付け加えておきたい。

  3人の魔女は、三田和代、平田敦子、江口のりこが演じていく。見た目の印象もてんで
バラバラに、それぞれの個性が上手く活かされ、1個の人間として魔女を造形していく。この世の者ではない存在としてではなく、あくまで等身大の人間として描かれていくため、物語と観客との距離感も、スッと近付いていくことになる。異化効果ならぬ、同化効果とでも言えようか。

 ダンカンを演じる中嶋しゅうが、王としてのクラス感をキッチリと押さえていくため、状況が転覆させられる事の顛末に大きな説得力を与えていく。バンクォーを演じるのは、風間杜夫。いぶし銀の存在感で、マクベスとの信頼を裏切られる男の憤りを、哀感を持って提示していく。幻影になって言葉を失ってからも、その憤懣やるせない思いを、無言の内に表出させていく。

 トレンチコートを羽織った小松和重のマルカムは、2代目御曹司的な燐とした資質と弱さを併せ持つが、大事に直面し、メキメキと成長していく様子が心強い。白井晃のマクダフも、中間管理職的な存在感を醸し出し、自分で判断出来ないもどかしさ、運命に翻弄される哀しさを、明確に演じきる。シェイクスピアは百戦錬磨の横田栄司にはロスが託されるが、誰にも、お前誰だったっけと言われるような、この神出鬼没な役どころを、嬉々として演じており、観る者にも楽しい気分を与えてくれる。

 斉藤直樹の純朴さ、玉置孝匡のモダンな佇まい、そして、狂言廻し的な役回りでもある、市川しんぺーと福田転球は、物語にふくよかな感情を添えていく。

 軍勢に押し切られ、マクベスは息果てるのだが、その断末魔の叫びを聞き、何だか他人事ではないような気がさせられたのは、私だけであろうか。バーナムの森を、ある仕掛けによって劇場に再現したアイデアも面白いが、当初よりネタバレの感はある。また、オーラスには、きっと討ち取られたであろう、マクベスの首のデッカイ模型が、観客の手によって、会場中に廻されていくというアトラクションは、なかなか楽しい趣向だ。

 「マクベス」を本棚の中から取り出しリアルでモダンに表現した本作は、等身大の人間が真剣に生きる様を描いた悲喜劇として、「マクベス」上演に新たな側面を付け加えることになったのではないかと思う。


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