劇評265 

紫式部に清少納言という設定であるが、男性が演じても通じるような意気を感じる作品。

 
「紫式部ダイアリー」

2014年11月8日(土) 晴れ
PARCO劇場 19時開演

作・演出:三谷幸喜
衣装デザイン:ワダエミ
美術:堀尾幸男
照明:服部基
出演:長澤まさみ、斉藤由貴

   

場 : 初日が明けて、まだ、1週間も経っていないので、ロビーには三谷さんや、長澤まさみさん、斉藤由貴さんに贈られた花の香りでむせ返っています。劇場内に入ると、PARCO劇場の通常の緞帳が降りています。前振りの一切ない開場状況です。

人 : 満席ですね。40〜50歳代の、演劇を見慣れた方々や、業界関係者風の観客の姿が目立つ感じです。さて、今回、三谷さんは、どういう趣向を凝らしていくのだろうという期待感に観客席が満ちている様な気がします。

  紫式部とタイトルにあるので、舞台は平安時代で、女優陣は十二単を着て登場するのかと思いきや、現代のモダンなバーのカウンターで物語は展開していくことになる。登場人物は2人。紫式部を長澤まさみ、清少納言を斉藤由貴が演じ、台詞のないバーテンダーが、出演者二人がオーダーする様々なお酒をサーブしていく。

 高らかに流れる音楽のセレクトが強烈だ。トルコの軍楽隊の楽曲なのだが、どうしてもTV版「阿修羅のごとく」が思い起こされていく。女同士が闘わせる感情の奥底にあるドロドロとした想念のようなものが、グッと浮き出る相乗効果を発揮していく。そういえば、なんと本作の衣装はワダエミだ。なんと、これは、和田勉繋がりではないか。インスピレーション・ソースが見え隠れする。

 そのワダエミの衣装が、印象的だ。物語はバー・カウンターのスツールに座った清少納言の後姿から始まるのだが、グリーンを基調としたドレスの裾の幾つかのポイントから垂らされたストーンの様なものがアクセントとなっており、当然ながら座った時と立った時の双方をイメージし造形されていて見事である。紫式部の衣装は紫がアクセントの、清少納言に比べて丈がやや短めな可愛いカクテルドレス。両者の在り方を凝縮して魅せたコスチュームが、二人の性格付けをクッキリと際立たせる。

 バー・カウンター、一場の演目である。堀尾幸男が造形する一枚板風のカウンターに座る出演者の後姿から物語はスタートするため、どのような展開が施されていくのかと行方を見守ると、ステージの盆が回転し、様々な角度が現出することになる。そうか、こういう趣向でくるのかと腑に落ちる。

 お膳立ては万全だ。さて、物語がどのように進んでいくのであろうかと注視する。設定は現代で、二人は作家。由緒ある文学賞の審査員という設定であるのだが、話の内容は、清少納言と紫式部そのままなのだ。会話は、「枕草子」や「源氏物語」に言及し、文学賞の候補になっている和泉式部の実力を認めながらも疎んじる裏腹な感情をリアルに表出させ、記者発表はどちらがするかなど、クリエーター同士のリアルな鞘当が繰り広げられ、段々と舞台に惹き付けられていく。

 時空が捩れ、攪拌された、奇妙な設定である。しかし、全く違和感なく、清少納言と紫式部との丁々発止がナチュラルに観ることが出来るのは、ひとえに、三谷幸喜の才覚故なのであろうか。新旧の創作者である女性二人の立ち位置が、三谷幸喜の現在と過去をオーバーラップしているような気もする。故に、創作に関する葛藤やジレンマの吐露が前面に放出され、女性の真情がフォーカスされ過ぎることなく、モノを創る者のひねくれた視座と激情が染み出る。

 この物語の設定自体が独特であり、本作を唯一無二たらしめている。そのワールドの中において、長澤まさみと斉藤由貴という華も実もある女優が活き活きと輝いていく。長澤まさみはその天真爛漫なイメージそのままに、下心のある悪気を笑顔で包み込みながら嬉々として旬の作家・紫式部を演じていく。斉藤由貴は可愛さを残しながらも、落ち着いた重鎮の威厳も漂わせ、長澤まさみをグッと受け止め、作品に安定感をもたらせていく。

 旬の女優の魅力を存分に堪能しつつも、創造する者の苦悩や嫉妬や憐憫が押し出されることにより、一筋縄ではいかない人間の隠された心根がグサリと突き付けらリアルである。しかし、一歩引いた三谷幸喜の冷静な視点が二人の世界に奥行を与え、女同士のバトルの中から、人間が抱える混沌とした普遍的な感情を掴み出していく。

 三谷幸喜の女性を崇める真情が、女の本音を露骨に暴ききることなく、ものを創る者同士の鞘当てに興味をフォーカスされ、紫式部に清少納言という設定であるが、男性が演じても通じるような意気を感じる作品に仕上がったと思う。


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