劇評276 

破天荒な展開だが、地に足の着いた表現で観る者を圧倒させる衝撃作。

 
「禁断の裸体」

2015年4月5日(日) 曇り
シアターコクーン 17時開演

作:ネルソン・ロドリゲス
上演台本・演出:三浦大輔
翻訳・ドラマターグ:広田敦郎
出演: 内野聖陽、寺島しのぶ、池内博之、
野村周平、米村亮太郎、古澤裕介、榊原毅、
宍戸美和公、池谷のぶえ、木野花

   

場 : 初日2日目です。関係者窓口のカウンターが、結構、賑わっていますね。ロビーには、ブラジルの著名写真家が撮った、50・60年代の作品のパネル展示が成されています。劇場に入ると、既に緞帳は上がっており、ブラジルの建築家、オスカー・ニーマイヤーが創造する作品のフォルムにも似た舞台美術が現れています。

人 : 満席です。立ち見の方もいらっしゃいますね。客層は男性客比率が高いですね。三浦大輔作品の傾向なのだと思います。一人来場者も多い気がします。年齢層は40〜50歳代が中心でしょうか。演劇を見慣れた風の方々が多いので、劇場内の雰囲気は、シットリと落ち着いた空気感に覆われています。

 ネルソン・ロドリゲスの作品は初見であるが、ブラジルの作家という先入観からラテンの明るくて乾いた触感をイメージしていた。開場中からステージ上にある装置が観客の前に提示されているのだが、曲線が活かされたフォルムに、ブラジルの建築家オスカー・ニーマイヤーなどのスピリッツが継がれているかのようにも見て取れる。

 上演台本と演出を手掛けるのは、三浦大輔である。ネルソン・ロドリゲスが描く戯曲世界から三浦大輔は一体何を掴み出していくのか。また、華も実もある旬な実力派俳優陣がキャストで居並んでいるということも、観る前から期待感を高める要因になっていると思う。ましてや、タイトルは「禁断の裸体」である。“禁断の肉体”が、舞台上でどのように晒されることになるのであろうか。

 やはり、物語は刺激的だった。タブー視されていることを連打していきながら、それを整然と紡いで一つの作品に凝縮したかのような濃厚なエキスが充満している。登場人物たち皆が、エロスに支配されているのだ。性に囚われ、その呪縛から逃れることが出来ない、いや、危ないとは分かってはいながらも、インモラルなオーラを放つエロスの強烈な磁力に引き寄せられてしまう人間の愚かさが克明に筆致されていく。

 理性的に見える者が衝動的な言動を取り、感情的に見える者が冷静に事を操るという、立場の転覆という要素が、物語の中には内包されている。厳然と存在する階級社会へのアイロニーが、そこには込められているのであろうか。

 また、エロスを支配、被支配する状態の、その反転した彼岸には、タナトスが背中合わせで存在しているということに、人間が抱える購えぬ運命というものが総体的にクッキリと浮かび上がってくる。そもそも物語は、内野聖陽演じる成功者・エルクラーノの妻が亡くなったことに端を発しているのではないか。皆がその死の呪縛に、終始振り回されているのだ。

 妻の死後、禁欲的な生活を送るエルクラーノは、自堕落な生活を送る池内博之演じる弟・パトリーシオから、寺島しのぶ演じる娼婦・ジェニーを紹介され、まるで箍が外れたかのように愛欲に溺れていくことになる。そして、パトリーシオの入れ知恵もあり、ジェニーはエルクラーノに結婚を迫っていく。その丁々発止のやり取りがヒリヒリする程スリリングに描かれていく。しかも、皆、裸体を曝け出し、まさに、体を張ったパフォーマンスに、観る者それぞれの観念も裸にされていくような気さえする。

 内野聖陽は仕事では厳しいビジネスマンなのであろうが、プライベートでは女に翻弄される男の弱さを大胆さと繊細さを持って演じるが、ついシンパシーを感じてしまうようないじらしさをも感じさせ絶品だ。寺島しのぶは、最初はゲーム感覚でエルクラーノを自分に振り向かせようとしていたかに見えるが、その内、擬態も本質へと変質していく様を、感情を緩急自在にクルクルと転回させながら、リアルさを持って演じ迫力がある。池内博之は、小賢しい策士振りを自堕落な様相で演じ、腹が出た、そのだらしないフォルムも計算づくに、派手な風貌も相まって、作品世界にラテン的な鷹揚さを刻印していく。

 物語が大きく転じる契機を、野村周平演じるエルクラーノの息子セルジーニョが担っていく。死した母の喪に服し続けているセルジーニョは、木野花、池谷のぶえ、宍戸美和公演じる3人の叔母に溺愛されている箱入り息子だ。そんな彼が、野外で睦み会う父と娼婦を目撃してしまい、自暴自棄になって暴力沙汰を起こし投獄され、獄中で男に犯されてしまうという、性の問題が連鎖していく。そして、その後の急激な展開に、言葉を挟む余地のいない程、愕然としてしまうことになる。野村周平も体当たりの熱演を繰り広げるが、若くフレッシュな存在感が一服の清涼剤のような雰囲気を醸し出していく。

 堕ちるところまで堕ちると、逆に、ポジティブになるという、人間の本性をまざまざと見せつけられることになる。戯曲の中からエロス&タナトスを切っ先鋭い鋭利なナイフで切り裂き掴み出すように描いた、三浦大輔の手腕にも舌を巻く。居並ぶ旬の俳優陣の手綱を上手く捌いているのも心地良い。

 どんなことが起きても、人間は必ずや再生するのだ。死を前にして、溌溂とした生を生きようとする人間の底力が満々と湛えられエンパワーされていく作品だ。破天荒な展開だが地に足の着いた表現で、観る者を圧倒させる衝撃作であった。


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