作品が終演し、カーテンコールと相成り、思い切り拍手をしたい気持ちはあるのだが、今観ていた光景があまりにも鮮烈であったため、果たして素直に拍手をしてもいいのだろうかと訝ってしまう自分がいた。第二次世界大戦の戦闘の最中を生きた、沖縄の女学生たちの生き様が、あまりにも過酷で、哀しく、しかも、穢れなき純粋さを湛えているため、彼女たちが迎える悲劇を前にして、愕然としたままの状態で凍りついてしまっていたからだ。
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表現方法は決してリアルとは言えない。戦渦を想起させる装置もなければ、衣装は生成りのモダンなスタイル。台詞も、ことさら状況を説明するようなことはなく、ごく日常的な会話で紡がれていく。幼少期を追想するかのような、いつものマームとジプシーの世界観が一貫して貫かれているのだが、そこで展開されていくのは明らかに戦争に翻弄される人々なのだ。
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心の琴線にピッタリと沿うように、沖縄の少女たちの日常が綴られていくのだが、観ている途中までは、まるで、現代の女子校生を描いているかのように感じる程、敢えて時代性を強調しないため、懐かしさは感じるものの、70年前の過去の出来事だと思わせない表現が、秀逸である。
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観客の心情に、違和感なく登場人物たちの思いが重ね合さっていくため、どんどん、作品世界に意識が吸い込まれていってしまう、藤田貴大が仕掛けた設定は、見事と言わざるをえない。
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マームとジプシーの魅力の一つに、言動のリフレインにあると思うが、幸福な時の思いと、何が起こっているのかを把握するだけで精一杯な逡巡する時、そして、戦争の最中に巻き込まれた状況を必死に生き抜こうとする様などが、繰り返し、繰り返し提示されることによる効果は、購えない運命を想起させ、胸が苦しく押さえ込まれていくようなのだ。その光景が観た後にまで、残像となって堆積し、心の中に沈殿していく。
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舞台は、目まぐるしく高速で転回していくのだが、小道具を駆使してシーンの変換を推進する演者たちも、非常に大きな存在だ。演じ手たちとの呼吸もピッタリに、まるで、モダンダンスのようなしなやかで美しい動きで、観る者を魅了していく。物凄い段取りの数であろうが、間違えずに進行しているだけでも凄いななどと感じ入る。
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少女たちに襲い掛かるのは戦争だけではない。戦争で戦う兵士たちの欲望の対象にもなり、身も心も蝕まれていくのだ。戦争というものに人間が蹂躙されていく様が、ジワジワと胸に染み込んでくる。装いが、生成りの清潔感溢れるものであるため、悲惨な光景の奥に潜む慟哭が、浮かび上がる効果を発していく。
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海へ、海へと向かうオーラスに、ふと「大人は分かってくれない」をオーバー・ラップさせながら、少女が希求する平和の光を、一緒に見出そうとする自分がいた。「過去の人は、こんな未来を描いていたのだろうか」という台詞が、心から離れない。過去の悲惨を塗り替えようとするかのような今の日本に叩き付けられた、自分の意思を問われるような試金石なような作品だと思う。傑出した作品である。
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