劇評283 

モーツァルトを現代にコミットさせ、デジタルな筆致の「魔笛」を造形し秀逸。

 
 
「魔笛」

2015年7月20日(月・祝) 晴れ
東京文化会館 14時開演

台本:エマヌエル・シカネーダー
作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
指揮:デニス・ラッセル・ディヴィス 演出:宮本亜門
装置:ボリス・クドルチカ
衣装:太田雅公
照明:マルク・ハインツ
映像:バルテック・マンス

出演:大塚博章、金山京介、鹿野由之、狩野賢一、升島唯博、高橋維、嘉目真木子、北原瑠美、宮澤彩子、遠藤千寿子、冨平安希子、萩原潤、青柳素晴、今尾滋、清水那由太、ほか

場 : 東京文化会館での公演は、何だかロビーの雰囲気も賑々しく、劇場に来たんだなというワクワク感が立ち上ってきます。劇場内に入るとステージ前面に下された暗幕に、QRコードが投影されています。I Phone、I Padであれば取り込めるとのこと。面白い導入ですね。

人 : ほぼ、満席ですね。ロビーで来場者の話に耳を傾けていると、やはり、二期会の関係者や、オペラファンの方々などが多い感じがします。既に、本演目を鑑賞なさっている方などもいらっしゃるようですね。

 2年前に、オーストリアのリンツ州立劇場の杮落とし公演として上演された本作の評判は、宮本亜門の演出が大きな話題になったと聞き及んでいたため、約半年前にチケットを入手し、公演当日を迎えることになった。オペラって、かなり前からチケット販売されるんですよね。

 上演前の緞帳にQRコードが投影されているところが、本作の演出のコンセプトに通じていく。緞帳が上がると、そこは現代の家庭のリビングのような光景が現れる。お爺ちゃんと孫3人がTVゲームに興じているところに母が、そして、父が帰宅する。父は仕事で何かあったのか、いらいらしており、母と口論をし始める。母が怒って家を出てしまった後、残された父は、先ほどまで子どもたちが遊んでいたゲームが映し出されていたモニターに突っ込んでいく。

 父は、まるでオルフェの如く、異界である「魔笛」の世界へと迷い込み、異国の王子タミーノへと変貌する。大蛇を退治し、その様子を感知した夜の女王の侍女たちが現れる。そして、そこで見せられた女王の娘パミーナに惹かれるが、ザラストロに誘拐されていることを、タミーノは知る。知り合った笛を吹くパパゲーノと共に、パミーナ探しへと旅立つことになる。

 モニターの向こうにある世界で冒険譚を繰り広げる光景は、まさにRPGだ。モニターにダイブすることで、モーツァルトの世界がゲームの様相を呈していく展開が実に刺激的だ。現代の観客に親和性が感じらさせるようなこの設定は、「魔笛」の世界をグッと分かりやすくする効果を発していく。王子や女王と言われてもいま一つピンとこない感じであるが、ゲームの中の出来事であるならば、逆にリアルに感じられるのが面白い。

 ボリス・クドルチカの装置は、イメージをヴァーチャルに寄せることなく、西洋の設えを踏襲した背景がしっかりと組み立てられ、妙に落ち着き心地良い。そこに被さるのが、バルテック・マンスが創作する映像だ。瞬時にシーンが変化し、様々な世界へと誘う効果を十二分に発揮していく。

 マルク・ハインツが担う照明は、それぞれの場面とアーティストとを分け隔てることなく共存させ、色々な要素が集積するステージを一体化させる。太田雅公の衣装は、キャラクターの内面をカリカチュアライズさせ、登場人物たちの役回りを明確に可視化させていく。遠目でもハッキリと人物の個性が浮き出たせながら、創作者のオリジナリティが盛り込まれ作品に上質なアクセントを付与していく。

 パミーナの嘉目真木子は、宮本亜門演出の「マダムバタフライX」のタイトル・ロールでも印象的であったが、本作でもパミーナの役柄から溌溂とした意気を放ち目が離せない。パパゲーノの萩原潤は、コミカルな役柄を嬉々として表現し、作品に柔らかな感触を付与していく。

 ザラストロの大塚博章は善き人である面が前面に押し出され、作品に安定感と優しさをもたらしていく。夜の女王の高橋維は役柄に邪気を忍ばせながら、女王の孤独と悪意とを渾然とさせながら表現する。

 宮本亜門の独特な発想に、指揮のデニス・ラッセル・ディヴィスが見事に応えた信頼感が迸る熱情を感じることができた。演出の手腕が作品を牽引していることに相違ないが、全ての要素がその才気に収焉するという吸引力として機能する。モーツァルトを現代にコミットさせ、これまでにない様なデジタルな筆致の「魔笛」を造形し秀逸である。


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