劇評285 

テーマパークのワクワク感が沸き起こるエンタテイメントとして成立した、真夏の世の夢。

 
 
「ウーマン・イン・ブラック」

2015年8月8日(土) 晴れ
PARCO劇場 19時開演

原作:スーザン・ヒル
脚色:スティーブン・マラレット
演出:ロビン・ハーフォード
翻訳:小田島恒志

出演:岡田将生、勝村政信

場 : 昨日、初日を迎えたPARCO劇場のロビーには、出演者に贈られた花が沢山立ち並んでいます。劇場内に入ると、緞帳は上がっており、少し朽ちかかったゴシックな造りの劇場のプロセニアムなどが設えられているのが分かります。

人 : やや空席がありますが、ほぼ満席ですね。観客は、老若男女、実に様々な方々が来場されています。お一人な方も多い感じ。出演者、作品そのものなど、どういったところに興味を持っていらしたのでしょう。

 本作は、1992年の日本初演以来の観劇となる。幾たびかの再演の他、映画化もされた人気の作品であるが、世界初演となるロンドンでは、1989年以来27年間上演され続けているのだという。上演され続けているその理由は何なのかと考えると、幾つかの要因が浮かび上がってくる。

 出演者が男優二人であるという点は、上演の身軽さを後押しする最大の要因だ。年配と若手の俳優とがガッツリと相まみえることができる、絶好のテキストだ。しかも、内容はミステリー。人間ドラマだけに留まることのないエンタテイメント性が抱合されており、観客を飽きさせることがない仕掛けに満ち満ちているのだ。

 また、大仰な装置などもなく、小道具を駆使して、観客の創造力を喚起させるアプローチ方法なども、通をも唸らせることになる。全てをリアルに可視化すればいいのではないことが、しかと伝わってくる。創り手の、この、観客に対する厚い信頼感が、ロングランとなった秘訣なのかもしれない。

 物語は、かつて、ある恐怖体験をした男が、その出来事を芝居仕立てにして表現することで、過去と決別しようと画策するところからスタートしていく。その男を勝村政信が演じ、演技を指導しながら相手役を受けて立つ若手の俳優を岡田将生が担っていく。

 岡田将生は初舞台「皆既食」で放っていた初々しさを残しつつも、旬の俳優のオーラを放ち華やかだ。百戦錬磨の勝村政信は、素直な資質の岡田将生をシカと受け止めながら、その球に変化を加えて投げ返していく様は、まさに熟練の技。しかも、真面目に受け答えをしていく中にもユーモアを忍び込ませ、会話に可笑し味が付与されていく。キャスティングが一新されたことにより、俳優二人のコンビネーションは観る者にも新鮮さを与えてくれる。

 物語が展開していくに従い、恐怖の理由が段々と暴かれていくことになるのだが、時折挟み込まれるユーモアがしっかりと物語に溶け込んでいくため、その恐怖を逆に増幅する効果を発していく。また、二重、三重の感情が重層的に積み重ねられていくことで、あらゆる局面において、ふくよかな感情も織り込まれていく。

 幽霊と称される存在が、彼岸の物体としてではなく、此岸との岸辺を行き来する浮遊感を漂わせながら、作品全体を覆っていく。その独特の世界観が、オリジナリティあるミステリーのラビリンスを織り成し見事である。作品が怖さに収焉することなく、その怖さの原因である怨念の権化の気持ちが、今を生きる人間たちの感情とシンクロしていく様は、何だか感動的ですらあると思う。

 演出のロビン・ハーフォードは、本作で、この二人の俳優を得て、いい意味での軽妙さを獲得することが出来たのではないだろうか。勿論、物語のクライマックスの、背筋がゾクッとさせられる仕掛けには、充分怖がらせて頂いたが、そこに至るまでのプロセスが、アメージング・ジャーニーとして成立しているのだ。

 シンプルだからこそ、面白さがストレートに伝わる。そこに、あらゆる感情が交錯することで、彼岸の領域に足を踏み入れながらも、何故か深刻にならずに温かさを保持していく。本戯曲が、ある種、理想的なカタチで具現化された本作は、テーマパークのワクワク感が沸き起こるエンタテイメントとして成立し、真夏の世の夢を観客と共に共有出来る作品に仕上がった。


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