劇評28 

場と脇役を変えての再演を期待したい。

「楡の木陰の欲望」





2004年10月23日(土)小雨
シアター1010 18時開演

作:ユージン・オニール
演出:ロバート・アラン・アッカーマン
出演:寺島しのぶ、パク・ソヒ
美術:朝倉摂 照明:沢田祐二 衣装:黒須はな子
    

場 : 開演直前午後5時58分。地震発生!(新潟県中越地震)
耐震構造故か、結構揺れが大きい。舞台は二階建ての家の断面と、
上下の舞台上から楡の木が柳のように垂れ下がる。
その葉の揺れが地震の怖さを増幅させる。
人 : 約8割の入り。しかし、入口脇の関係者受付のテーブルには、ずらりと、
招待客用の封筒が並んでいる。チケットが売れていないという噂は本当であったか。
ロビーには、お美しい麻美れいさんの姿も。地震による影響を確認するためか、
ロバート・アラン・アッカーマン氏も客席に姿を現していた。

 何せ「新潟県中越地震」発生のその時とかち合ってしまった。第一波が開演直前、アナウンスで「舞台機構点検にため、少々お時間をいただきます。」「この建物は耐震構造ですので、内部におられた方が安全です。」とのこと、また、「震源地は新潟付近である。」とのアナウンスも入る。「準備が出来次第、5分前にお知らせします。」! 適宜入る情報アナウンスにて不安感が無くなっていく。



 6時30分開演。芝居はスタートするが、芝居開始約4分後に、また、大きな揺れが襲う。舞台では、山本亨、大川浩樹、パク・ソヒが芝居開始していたが地震の揺れが治まらず、3人がテーブルについたまま暗転になり、芝居は中断。しばらくすると、シアター1010の制作担当の方が壇上に上がり、「再度、舞台を点検した後、芝居は再開します。最初から…。」という言葉に少し拍手が起きる。6時55分過ぎ位に芝居は再開。でも、観る方も演る方も、地震がまた来るかもというアタマが何処かにあるのか、妙な緊張感は残っている。



 リアルな体験が起こってしまった後であるからか、何故か空間全体を空虚感が覆い、濃密な空気が立ち現れてこない。しかし、状況のせいばかりにはしていらない。寺島しのぶを受け、跳ね返すことが出来るようなパワーある役者が存在していなかったため、どのシーンでも登場人物の感情がスパークしてこないのだ。パク・ソヒは、新鮮さと若さと率直な演技は注目されるところであるが、表裏相反する男の葛藤までもは感じることが出来なかった。故に、何故、このエバンと、寺島しのぶ演じるアビーとが「どの瞬間にお互い虜となってしまったのか」、その瞬間が良く分からないのだ。初めてふたりが「一つになる」シーンも、そこに行くまでの過程が非常にあっさりしているため、エロテックな盛り上がりに欠けている。また、絡み合い、さて、どこまで到達するのかと言う展開になるのだが、パッと暗転になり、次の瞬間、もう朝になる、という展開なのだ。「パッション」の処理は、全体的にあっさりした薄味だ。


 二階建ての構造を活かし、家の各所で起こる出来事のスピーディーな演出の処理は鮮やかであるが、こと、寺島しのぶを中心とする俳優陣の演技に関しては、あまりうまく機能していないと思う。父役の中嶋しゅうであるが、150年前のアメリカの農地に住む70歳前後の老人のリアルさがあまり感じられない。元気が衰えない老人ということであろうが、踊り狂うその動きは50代半ばの本人自身の若さとしか映らない。山本亨と大川浩樹も台詞を読んでいるのだという予定調和的な上手さ以上の驚きはない。


 朝倉摂の美術も沢田祐二の照明も上質で安心感はあるのだが、ハッとするような斬新な驚きは与えてはくれなかった。「マディソン群の橋」を少し思い出してしまった。


 脇役陣を変え、場所も例えばベニサン・ピットの様な小空間に移して、再トライアル出来ないものであろうか。寺島しのぶをもっと活かしきった、ずたずたになって精神を絞りきった様な追い詰め方で、その立ち振る舞い、汗、視線のひとつひとつが繊細に響いてくるような作品として再生してくれればな、と思う。


 地震に影響されていない、他の回でも見てみないと駄目なのかもしれないが…。