劇評295 

悲恋物語を通して様々な価値観の相克が描かれ、誰もが誰かに思いを重ねることが出来る秀作。

 
 
「元禄港歌」

22016年1月10日(日) 晴れ
シアターコクーン 14時開演

作:秋元松代 演出:蜷川幸雄
音楽:猪俣公章 劇中歌:美空ひばり
衣装:辻村寿三郎 美術:朝倉摂
照明:吉井澄雄 効果:本間明

出演:市川猿之助、宮沢りえ、
高橋一生、鈴木杏、市川猿弥、
新橋耐子、段田安則 / 青山達三、
大石継太、市川弘太郎、市川段之、
市川猿三郎 ほか

場 : ロビーでは様々なDVD、書籍、雑誌が販売され賑わっています。劇場内に入ると、プロセニアムには、漆黒の幕が下されています。静寂の内に観客は席へと着いていきますが、開演時間が近付くとさざ波の音が微かに流れ始め、劇世界へと誘う雰囲気が醸し出されていきます。

人 : 満席です。若干立見席も出ていますね。お客さんは、50歳代以上の方が大多数を占めているでしょうか。男女比では、女性の方の割合が多いですかね。

 「元禄港歌」は1980年と1984年の上演は拝見しているが、1998年〜2000年のカンパニー公演は未見である。本公演は、「近松心中物語」で絶賛された、秋元松代作、蜷川幸雄演出の続作として、東宝で企画された同作の、15年振りの公演となる。1982年には3部作の終章「南北恋物語」が上演されたが、同作の再演はその後ない。面白かったのになあ。

 男女二組の恋模様が中心に描かれたこれまでの上演作からキャストが一新されたことにより、作品の趣きは一変した。なるほど、演じ手が変わることにより、こういう風に作品は変転していくものなのだと感じ入ることになる。

 ピンを張るのは、市川猿之助。これまでは、嵐徳三郎や藤間紫が演じてきた役柄である。その所以からすると正統的な継承であると思うが、同役は、以前は漂泊しる男女二組の生き様を脇から支える存在であったと記憶している。しかし、本作においては、作品全体を底辺から支える“母”の様な在り方で、物語の中心に聳え立つ。

 今さらながら、秋元松代が創造した戯曲の緻密さに驚嘆せざるを得ない。どの人物も端的で過不足なく描かれているため、誰がクローズアップされてもおかしくないことに気付かされることになる。頑強な筆致で構築された世界で、当代一流の演者たちが、見事なアンサンブルを織り成していく。

 更に驚いたのが、物語の凝縮度合。言い換えれば、場面の端折り方である。そういう感情に変化していくには、もう二、三場、シーンがあってもいいのではと思うくらい、登場人物たちは迷わず、自らの信念をどんどん貫き通していくのだ。外野の意見になどに耳を貸すことない人間たちの生き様が融合すると、この上ない疾走感が作品に生まれていく。この登場人物たちの感情は、作者の資質とも呼応するのではないかとも邪推する。

 瞽女の女芸人を率いる糸栄を市川猿之助が演じ、瞽女の初音を宮沢りえ、そして、目に明るい瞽女歌春を鈴木杏が担い、廻船問屋大店長男の段田安則が初音と、次男の高橋洋が歌春との運命的な恋に堕ちていくことになる。しかし、身分の差異などによる障害が横軸として挟み込まれていく。

 物語は、繁栄する者とその陰で生きる者とが共存して描かれていく。富む者が権力を掌握し、流浪の身とは言え瞽女は歓迎されるが、念仏信徒一行は道を横切るだけで疎まれる情景が活写される。元禄、昭和という時代を経て、現代であるからこそリアルに感じる“格差”あるいは“差別”がしかと刻印されており、作品が内包する普遍性が浮き彫りにされる。

 市川猿之助は、女方で培った所作や立ち振る舞いが美しく、思わず目が惹き付けられる。物語の終盤には、心の内底に沈殿した思いをマグマの様に噴出させ、作品をクライマックスへと昇り詰めさせ圧倒させられる。同じく母を演じる新橋耐子は、廻船問屋に生まれた出自を醸し出しながら、二人の息子への異なる情感を分かりやすく表現していく。

 宮沢りえの艶やかさは作品に煌きを与えていく。盲目や津軽三味線もすっと身体に染み込ませ、物語の中心に立ち観客から涙を絞り取っていく。段田安則が運命の男を担っていくが、恋へと傾いていく感情の飛躍にもしかとリアリティを与え、揺れ動く男の感情を繊細に紡いでいく。真情を内包した鈴木杏の複雑な思いや、その思いの相手である高橋一生の次男坊の奔放さ、あっけらかんとしたはじけ具合も印象に残る。兄弟の父の市川猿弥の何事にも動じることのない存在感は、かつて確かに存在していた父親像がしかと描写され郷愁さえ感じさせる。

 美空ひばりの歌声が、観劇後も耳にこびり付いて離れない。作品の彼岸に回り込み、そこからこの劇世界を俯瞰して眺めるような視座で言霊を放熱していく。初演当時、群衆、花、そして音楽を三種の神器と標榜していた蜷川幸雄の意図は、古びることなく現代に生きる人々の心の琴線を、今も揺り動かしていく。

 弟・高橋一生を恨む男が振り撒いた毒薬に目をやられ失明してしまう兄・段田安則の顛末は、まさに「オイディプス王」だ。贖うことが出来ない運命に翻弄される人間が抱える普遍的な哀しみが憐れを誘う。悲恋物語を通して様々な価値観の相克が描かれ、誰もが誰かに思いを重ねることが出来る秀作であると思う。終始、舞台に振り落ちる椿の花の美しさも、決して脳裏から離れることはないだろう。


過去の劇評はこちら→劇評アーカイブズ