劇評326 

生きることに不器用な男女が細やかな救いを見出す希望に満ちた秀逸な作品。

 
 
「ダニーと紺碧の海」

2017年5月13日(土)小雨
紀伊国屋ホール 19時開演

作:ジョン・パトリック・シャンリィ
翻訳:鈴木小百合
演出:松岡昌宏

出演:松岡昌宏、土井ケイト

場 : 久しぶりの紀伊国屋ホールです。やや天高のあるロビー空間では、集った観客たちの談笑が心地良いざわめきとなっていきます。劇場内に入ると、ステージ上には薄っすらとセットを伺うことが出来ます。蛇口から水が滴り落ちる光景が印象的です。かつて観た蜷川幸雄演出の「十二人の怒れる男たち」が想起させられます。

人 : 満席です。当日券も出ていますね。松岡昌宏氏ファンと見受けられる女性客が8割位を占めているでしょうか。一人来場者率が高い気がします。

 ジョン・パトリック・シャンリィは、映画「月の輝く夜に」や「ダウト」などでも有名な作家でもあるが、詩人として活動を開始させ、その後、劇作を手掛けていくことになった作家である。本作は1983年にケンタッキーで初演され、その翌年、ニューヨークで上演されている。

 戯曲が筆致する1980年代のアメリカに生きる男と女は、30数年前に生きた過去の人物では決してない。ヒリヒリとした孤独を抱えた人間が描かれる人物造形は、いつの時代に共通する普遍的な心情を描ききっているため古びることはない。また、そんな男女の心情を戯曲の奥底から掴み取り、時代に左右されることのない人間の核心を抽出させたクリエイターたちの才気に酔い痴れることにもなる。

 松岡昌宏が演じるダニーは、他人にも自分にも苛立っている。そして、その苛立ちを目に入る全てのものに叩き付けて生きている。この焦燥感は、若者が持ち得る特権だとも見てとれるが、このダニーのストレートな感情表現が新鮮に映るのが面白い。現代に生きる人々は、忸怩たる思いはどうやらオブラートに包んで表現している時代なのかもれないとも感じ入る。

 バーで一人飲みをしているダニーと、やはり同じ店で一人で飲んでいる女ロバータは、席が少し離れてはいるのだが、少しづつお互いが気になっていく。ダニーにシンパシーを感じるロバータである。彼女もまた、心の内壁に堆く積もった孤独を抱えながら生きている女であった。

 ロバータを演じるのは土井ケイト。「彩の国さいたま芸術劇場ネクストシアター」で研鑽を積んだ実力派だ。蜷川幸雄の演出助手であった本作の演出家である藤田俊太郎とは、旧知の仲なのであろう。土井ケイトの才能を熟知したこのキャスティングは、松岡昌宏と互角に対峙し、スターに決して引けを取ることのない存在感を示し、大成功だ。また、意図的なのではあろうが、二人のバタ臭いルックスのバランスも、また良しである。

 反発し合いながらも、だんだんと惹かれ合っていくダニーとロバータ。ロバータの住む実家の1室へと場を移した後、結婚をしようと気持ちがヒートアップしていく。ダニーはとことん本気だ。しかし、ロバータの気持ちはだんだんと萎えていく。過去に囚われ、幸福になる自分を忌避しているようなきらいがある。すれ違う二人の何とも言えぬもどかしさが観る者の心にもグサグサと突き刺さる。

 藤田俊太郎は、男女の機微を実に繊細に紡いでいく。松岡昌宏と土井ケイトの心身の奥底から、ダニーとロバータが秘めた心情を掴み出しスパークさせるサポートを見事に成し遂げている。二人芝居であるが、決して緩むことのない緊張感を終始舞台上に刻印していく。

 避けることなくお互いが徹底的に向き合い、激しい台詞の応酬で気持ちをぶつけ合った先に開けてくる光景に、心が救われるようだ。信じ合い、希望を持つことの強靭さに胸が打たれる。生きることに不器用な男女が細やかな救いを見出す希望に満ちた秀逸さが、観た後も心に沈殿する作品であった。


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