劇評68 

松たかこを得て輝いた、舌戦の法廷劇は秀逸。

「ひばり」






2007年2月17日(土)雨
シアターコクーン 午後7時開演

作:ジャン・アヌイ 演出:蜷川幸雄
出演:松たかこ、益岡徹、橋本さとし、
山崎一、壤晴彦、小島聖、磯部勉、
月影瞳、阪上和子、二瓶鮫一、塾一久、
久富惟晴、品川徹、稲葉良子、横田栄司、
妹尾正文、堀文明、飯田邦博
場 : 会場に入ると通常の壇上舞台は取り外され、客席と同じ地平にリングのような四角い舞台が設えてある。その上下には、リング上で語られる、ことの顛末を見守るように役者が傍聴人に様に居並び壇上での出来事に一喜一憂し、舞台奥には、司教が一段高いところから、その光景を眺めているといった具合だ。
人 : 満席。年配層がやや多いか。一人で来ている人が結構多い。開演前のロビーはいたって静かで、 飲食する人の数も少なく、物販コーナーにもあまり人が並んでいない。

 中央には、リングのような四角いステージ。開演時間が訪れると、舞台奥から、役者たちがそれぞれ素の状態で登場する。但し、松たかこだけは、もう、ジャンヌ・ダルクになっている様だ。舞台ツラに待機する者、上下の傍聴席のような場所に座る者、舞台奥の壇上に上る者など様々だ。そして、客席通路から益岡徹と橋本さとしが現れ、舞台での位置に付いた瞬間に、物語は始まる。




 ジャンヌ・ダルクは、フランス軍を率いてイギリス軍に連勝し、フランスの名誉を回復させ王を戴冠させるのだが、後に、王に見捨てられ、最後は異端者としてイギリスに宗教裁判の場に引きずり出されることになる。その顛末が、リング上で、語られ演じられていくのだが、舞台が、まるで、裁判で証人が答弁する証人台のような役回りを持っていく。時に、事の顛末を語ることもあれば、フラッシュバックのように過去の出来事が再現されたりもする。上下の傍聴席の様なベンチに座る者たちは、その出来事に、驚き、怒り、意義を唱えていく。まさに、法廷である。




 客席側も明るいままの状態が続くが、観客も物語の進行と一緒になって、全ての出来事を冷静かつ客観的に検証する傍聴者のひとりになっていく。物語を、裁判所のようなハコに組み入れてしまうことで、散逸する物語に大きなひとつの潮流を作り上げ、そこに向けて全てを集約されていくその手法は、見事であり、秀逸であると思う。




 松たかこが、素晴らしい。語る言葉も明晰に、膨大な台詞を難なくこなし、グイグイと物語を牽引していく。彼女が、フランス軍兵士を率いたのだという強靭さや才気にリアリティを感じさせるのと同時に、神の声を聞いた少女の真摯な純粋さも併せ持ち、様々な時系列の出来事が交錯するどの場面においても、一貫性ある意思が破綻なく表現されている。神の声を再現するその声にも驚嘆した。松たかこが発したとは思えなかったのだ。その威厳ある言霊に、運命を透かし見る、まさに神の視点を感じることが出来た。




 山崎一演じる王シャルルの、軽さと狡猾さを併せ持つ人物像は面白く、この日の回は、途中でかつらが取れてしまう珍事があったのだが、松たかこのフォーローもあって、事なきを得た。壤晴彦の異端審問官は、この裁きの本質を炙り出すような鋭い切っ先でジャンヌに言葉を斬り突け、重みある威厳を発揮していた。磯部勉の、何としてもジャンヌを有罪にしたい検事の意義のはさみ込み方も面白い。益岡徹のジャンヌを庇護する優しさ、橋本さとしのジャンヌを敵視する厳しさが対を成し、物語を側面から支えていた。小島聖の妖艶、月影瞳の清楚、阪上和子の高貴、二瓶鮫一の傲慢、塾一久の愚鈍など、それぞれの役柄が、クッキリとアクセントを醸し出す。




 コロスの様に物語の進行を見守る14人の年配の男たちも印象的だ。蜷川氏主宰の「さいたまゴールドシアター」に参加する人々であるが、役者顔でないことがかえってリアルさを生み出している。台詞はないのだが、観客の心とシンクロする共鳴板のような役割を果たしていて、独特の在り方で面白い存在感だ。




 ラスト、フランス国旗を掲げて戴冠する王を見守るジャンヌの、何と美しいこと。火あぶりが寸前に解かれた後の場面ゆえ、その、美しさの中に秘めた、哀しさも滲み出し、運命に翻弄された少女の一代記を見事に締めくくった。松たかこを得てこの作品は光輝くことが出来た、と言っても過言ではあるまい。