劇評86 

たっぷりと2大女優の名演技を堪能出来る作品。

「ビューティ・クィーン・オブ・リナーン」






2007年12月22日(土)晴れ
PARCO劇場 午後7時開演

作:マーティーン・マクドナー
演出・出演:長塚圭史
出演:大竹しのぶ、白石加代子、田中哲司
場 : 会場に入ると、既に設えられているある一軒家のリビングの美術が見える位の大きさの紗幕が、舞台前に下がっている。「悪魔に死を気付かれるより30分でも早く、天国の一員となれますように」といった趣旨の英文が書かれている。カトリックのお祈りの言葉のパロディらしい。
人 : ほぼ満席。やや年配の方が多いかな。男女比は半々位。演劇関係者風の方も見受けられる。

 4人の登場人物の内のひとり黒田勇樹が降板したため、演出の長塚圭史が代打で登場。大女優たちと、舞台上でも相まみれることとなった。




 何せ、大竹しのぶと白石加代子である。この2大女優のガチンコ勝負観たさに劇場に足を運ばれた方も多いのではないだろうか。いつもどんな舞台でも観客を虜にしてしまうふたりである。期待しないわけがない。そして、その期待に違わず、やってくれました。絶えず怒りいがみ合いながらも、どこかで頼り依存し合う母子の関係を、実に濃密に演じ上げてくれた。




 舞台はアイルランド西部の小さな町リナーン。マーティーン・マクドナーの他の作品でもあるように、アイルランドの地方の町独特の、まさに流した血さえ瞬く間に乾いてしまうような荒涼とした土地の侘しさが、物語全体を包み込む。母子ふたりで寄り添いながら暮らし続ける突破口のない同じ毎日の閉塞感がじわじわとシンクロしてくる。一度はロンドンで働いていた娘も、結局はこの故郷に舞い戻ってきたわけで、どうしたらこの土地から出られるかと夢を見ようとするが、病身の母に引き戻され身動きすらとれない状態である。また、そのことがフラストレーションを溜めていくこととなる。




 大竹しのぶ演じる娘モーリーンは、絶えずガニ股で歩き続ける。動きも女性らしい仕草などは微塵もなく直線的だ。身繕いも褒められたもんじゃない。他人の目を気にしないとこうなるのだということが、まず、カタチとして圧倒的な存在感で迫ってくる。ただ動いているだけでモーリーンという人物が表現されているのだ。白石加代子演じる母マグは逆に大概が椅子に座って動きはないのだが、その声音と眼光とで、縦横無尽に役を操っていく。たまに、悪巧みをしようとヨタヨタと歩く様が、また滑稽で笑いを誘ったりもする。




 そんなふたりの言葉の応酬は、罵倒と蔑みと哀れみに満ちていて、負の感情が全面に押し出されている。しかし、その罵詈雑言を躊躇なく吐き合えるその心根の部分に、かすかな弱さなども秘めており、決して一筋縄ではいかない。しかし、両人とも感情が昂じてくると、観ているこちらに可笑しさが込み上げてくる。おもわず笑ってしまうのだ。言い争いも他人から見たら実にくだらないことなんだという次元と、リアルな感情のぶつけ合いとの間を、飄々と行き来するその技に、舌を巻く。




 モーリーンが突破口としてすがろうとした田中哲司演じる同年代の独身男性パトが、この舌戦の最中にホッとする空間を作り出す。彼の前では、モーリーンは女になる。露出度の高いドレスでパトを挑発する様は、先程までの他人の目を気にしないモーリーンではない。マグはそれが気に入らない。




 いろいろな秘密が解き放たれたり、封印されたりして、結局は、何処にも旅立てないモーリーンに、母の死が突き付けられる。母が座っていた椅子に座る、母の葬儀後の大竹しのぶが白眉である。どうみても、白石加代子演じるマグに瓜二つなのだ。どういう方法なのであろうか、白石加代子のやや角ばった顔のフォルムが、大竹しのぶに乗り移っているのだ。死してなお母の呪縛から逃れられない様を、一発でこう表現してしまえることに愕然とさせられた。長塚圭史の手綱捌きも見事に、2時間20分、まさにたっぷりと、名演技、を堪能出来た作品であった。