劇評8 


もはや子供ではない自分を感じられる至福のひととき

ピナ・バウシュ ヴッパダール舞踊団
「過去と現在と未来のこどもたちのために」

2003年11月16日(日)晴れ
新宿文化センター大ホール 13時30分開演
芸術監督・振付:ピナ・バウシュ
美術:ペーター・パプスト 
衣装:マリオン・スィート
場 : エントランスで楠田枝里子が著書「ピナ・バウシュ中毒」のサイン会を行って
いた。ステージは白一色の壁で覆われたシンプルな設定。
人 : ほぼ満席。年配の一人客やおばさん同士の団体も多いが、
学生のカップルなど若者も意外に目立つ。

 圧倒的なオリジナリティで、なにものにも例えようのない傑作を送り続けているピナのこの新作もまた、隅々にまで生きる喜びに満ち溢れた豊かな心が染み通ったステージに仕上がっている。


 未来は子供のたちのものであるという視点を持ちながら、昔日の想いを馳せるかのような遊戯性あるパフォーマンスや小道具を用いることで、過去の郷愁と未来への期待を掻き立てさせる。変に子供じみた演技をすることはなく、等身大の今の“私”の心象風景が次から次へと飛び出してくる。


 テーブルから転げ落ちる男を支える動作を繰り返す冒頭のシーンからもう目が離せない。よく子供って同じ動作を繰り返し繰り返しすることってあるよなあ、などと思いながらも、その強靭なバネのようなその動きに可笑しみと同時にシンプルにインパクトを叩き付けてくる。キャスター付の椅子や板に乗ってステージを滑り、縄跳びで遊び、砂遊びに興じ、風船を膨らませては座って萎ませ、袋を突っつくと一杯の飴が飛び散る、そんな風景がステージ一杯に溢れ出て来る。至福の時に包まれる私たち。


 しかし、単純な動作の積み重ねもこと男女の場合であると、行き違いすれ違うその様は、まるで子供の遊びのようなのだな、などと妙に感心してしまったりもしてしまう。純粋な子供心ではなく、また懐かしむと言ったセンチメンタルな感情でもない。ステージを見ながら童心を思い返すことでフッと軽くなる気持ちが立ち現れるが、そこではもはや子供ではない自分を意識することに他ならない。


 アメリカ先住民族の言葉が最後近くに語られる。太陽が木に引っ掛かり、それを取ったリスは焦げてしまう。しかし、神は蝙蝠として蘇らせることにした、と。生きるということは、何を得て、何を失うのか、ということなのではないか。変化をし続けることが生きるということなのではないだろうか。童心を弄びながらさり気なく突きつけられるメッセージは、今の私たちに勇気と希望を与えてくれている気がする。“未来の子供”とは、今の私たちの地続きの延長なのである。