萩原 |
「TUNAMIには、創造の源、風、火、水、全てが詩の中に織り込まれている。」 |
萩原 |
「表現したいけれど何をしていいかが分からない人に向かって話したい。何故かと言うと私がいまだにそうだから。」 |
萩原 |
「小学生の頃は画家になりたくて宣言をしていた位なんだけど、中学の時美術の授業で有名画家の絵の模写をさせられ、一気に絵がいやになった。 国語の教師は文法が得意だと言い文章を解析し始め、それ以来文章を読まなくなった。ほんとは一行の言葉がどれだけ人の心を震わせるのかが欲しいわけよ。だいぶ経ってから、谷川(俊太郎)さんの詩を読んだ時気付くのだけど、言葉は自分の中にあると思っていたんだけれど、実は自分の外にあるのだと分かった。自分の向こうから言葉が呼びかけその時の自分の気持ちとシンクロする。言葉って何て凄いんだろうと思った。」 |
萩原 |
「仕事をしなさいと母に言われるんですけど、その頃30人位の会社をやっていて、しかし、母は表現することが仕事だと思っているので、私がやっていることを見て「あなたは堤清二になれるの!」と言われまして。そりゃあなれる訳がないと思って現職(多摩美術大学教職)に就きました。」 |
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萩原 |
「表現する奴にはいやな奴が多い。つきあいたい、友達になりたいという人ではない。でも、作品はいい。感動して泣かされちゃうんだよね。」 |
萩原 |
「「ゴダールの映画史」にあるのだけれど、全く違うカットが結びつくことで力強い映像が生まれるのだと。また、壊すことが出来る奴が創造することが出来る、とも言っている。」 |
萩原 |
「美輪(明宏)さんとこの間対談があった時「何で美輪さんはステージで上がらないんですか」と聞いたのだけど、「メイクをしながら自分はその役になっていく。舞台袖にいる時はもうその役になりきっている。上がるというのはまだ自分の自我があるからなのよ。」と言われた。10代から女を演じ続けている美輪さんならではの凄さだよね。」 |
萩原 |
「初めてエッセイを書いた時、自分の名前入りの原稿用紙を作っちゃいました。 自分専用の原稿用紙を作り、名刺も作る。エッセイ書きたい人はエッセイストと肩書きを付けちゃう。で、いきなり書けばいい。自分がエッセイストだと思っていると、全てを見るようになる。どんな靴、どのメーカーのポロシャツ、飲んでいたのは何。全部に神経が行き届く。書くと思わないと確実に忘れる。書くと思うから記録する。書く人はメモを取る。カメラで撮る。テープで録る。なになにパチンコじゃあ書けない。湯の花パチンコとか、具体的じゃあないと説得力あるものは決して書けない。」 |
萩原 |
「からだという字ひとつとっても表現はいろいろ。体、身体、からだ、カラダ…。全然違う。自分はどの表現を使うのかが大事。」 |
萩原 |
「役者志望の奴とかで、映画見て本当に感動とかしちゃう奴がいるわけ。それは素人なわけ。こういうのはいいな、これはだめだな、おっ、こうきたか、とか、同業の奴がどんな表現をしているのかを見て盗み体得しなければいけないんであって、送り手であるお前が感動していてどうするんだ、と。」 |
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萩原 |
「エステ荘という、噴水庭園のある昔枢機卿のお屋敷だったところがイタリアのローマ郊外にあるんですが、いろいろなアーティストがそこを素材に作品を作っているんです。今日はその作品を持ってきました。写真で撮るとこんな感じ。これは雑誌の特集記事。回して見てください。 作曲家のリストが書いた「エステ荘の噴水」という曲があるので聴いてください。(※曲、流れる)また、アメリカの実験映画の作家ケネス・アンガーが「人造の水」という作品を撮っていますので、こちらも見てください。(※映像、流れる)同じ素材だが全く違ったものになっています。ここでひとつ質問したいのだけれど、この映画の中にはある工夫が施されている。自分が見たことがあるエステ荘の噴水より迫力がある。大きく見ええる、といったことがヒントなのだけれど分かる人…。」
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受講者 |
・ 水滴がいつも画面全体に揺らいでいる。
・ 動いている女性が合成
・ スローモーションの効果
・ 動いている女性が小人 |
萩原 |
「当たり! 多分この女性は1m位じゃあないのかな。こういった手法は遠近法を見せるためとか映画では良くあること。「カサブランカ」のラストシーン。飛行場の飛行機は全てミニュチュア。その前にいる人は小人。この場合は、噴水を巨大に見せるための手法ですね。」 |
萩原 |
「同じ素材でも手法は、映像、写真、文章、曲とそれぞれに人がいろいろ選べるのがいいね。また、このリストの曲に触発されてラベルが「水の戯れ」という曲を作った。こういった別の派生の仕方も面白い。」 |
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萩原 |
「何故、人はちらちらと動くものに魅かれるのか。焚き火は人の意識を浄化するものであるという説もあるが、私は映画そのものが、風や火や水なのだと思うんです。 映画自体がちらちらしている。映画は1コマ1コマが1回ずつシャッターを押されたシーンの連続。映像と何もない黒い画面の連続を高速で見ているから魅かれる。炎を見ているのと同じなんだな。また、映画そのものが揺れ動いているので、風や火や水に映画自体が同調し、被写体として擦り寄っていってしまうのだと思うんです。また、元々、人の目は、動かないものは見えなかったとも言われています。但し、そのままでは生きていけない。そこで、動くものを見るために目を動かすようになっていった。目を震わせ対象を捉えているから、人は動くものに魅かれるのだと思うんです。これは持論ですが。」 |
萩原 |
「作り手にもタイプがある。抽象的なことを具体化するのが得意な人は演出家や映画監督になるといい。また、抽象的なことを抽象化したり、また、具体的なことを抽象化する傾向の人は書き手になるといい。得意なものを選べる基準軸なようなものがあると便利なのだけれど。」 |
萩原 |
「まだまだ、話し足りないけれど、今回はひとまずこれで終了します。」 |