劇評169 

2011年の時代の気分が反映された衝撃作

「太平洋序曲」

2011年6月18日(土) 晴れ
神奈川芸術劇場ホール 18時開演
作詞・作曲:スティーブン・ソンドハイム
台本:ジョン・ワイドマン
演出:宮本亜門
出演:八島智人、山本太郎、佐山陽規、畠中洋、
   戸井勝海、園岡新太郎、岡田正、
   石鍋多加史、原田優一、富岡晃一郎、
   石井一彰、さけもとあきら、岡田誠、
   麻乃佳世、小此木麻里、森加織、
   田川可奈美、田山涼成、桂米團治

 

場 : 神奈川芸術劇場ホールは、エントランス付近が劇場の上手エリアになるため、ふと、位置感覚が分からなくなることがあります。しかし、何度か来場している内にだんだんと把握できるようにはなってきました。劇場内に入ると、既にセットが組まれているのが見えます。2000年の日本初演時は真っ白な舞台美術の印象が強烈でしたが、本作は能舞台を意識した造りになっています。舞台前面位置に水路が設えられていますが、水に浮く国・日本を、こういう形で表現しているのだなあと思いました。

人 : パラパラと空席がありますね。8割位の入りでしょうか。客層は概して年齢層が高めです。男女比は半々位かな。ご夫婦での来場なども目立ちます。また、地元横浜の人も多い感じがします。

 オープニングのシーン。プロローグの楽曲を歌いながら出演者たちが舞台上下から現れてくるのだが、その何とも言えない皆の沈鬱な表情が胸に突き刺さる。日本が語られるこの作品の中において、この“今”の日本の気分を表現した場合、このような表情になるのだなと感じ入る。明らかに、3.11の影響が見てとれるのだ。生ものである演劇が、観客との間にこのような心のブリッジが掛けられていくことで、劇場は一体感に包まれていく。

 続くナンバー「太平洋の浮き島」の楽曲に乗り、150年程前の日本の様子が活写されていく。そこでは、独特の美学と自然を愛する心を持ち、礼節をわきまえた優しい国民性が日本人の本質であると表現されていく。たかだか150年前の時代のことではあるのだが、遥か彼方の出来事かのような錯覚に襲われていく。開国以来、一体、日本人は何処に向かって生き急いできたのであろうか。そして、その向かった先の延長戦上にある今のこの世の中は、果たして日本の正しい在り方を指し示しているのであろうかなどと、様々な思いが頭の中を去来する。

 1976年のアメリカ初演時と今とでは、受け止める我々の土壌が全く異なるため、本作は、当初、意図されていたコンセプトとはその伝わり方が異なっているのかもしれない。しかし、秀逸なクリエーターたちは、日本の本質を抉り描き出していたため、日本が今なお内包する問題点について、何ら乖離することなく、こういう時期だからこそかえって明確に浮き彫りにさらされた感がある。

 開国を迫るアメリカを始めとする国々の圧力に、右往左往する日本側の対応がコミカルに描かれていく。そして、浦賀奉行所の目付役に取り立てられた香山と、アメリカに難破し日本に送り届けられたジョン万次郎とがタグを組んだ丁々発止の外交交渉の模様が嬉々として演じられていく。この二人の人物の描かれ方はフィクションではあるのだが、立場の異なる者同士がだんだんと打ち解け合っていきながら交渉に成功していく様は、まるで、バディムービーのような爽快感を醸し出す。

 交渉はテント内でクローズな状態で行われたため、その様子を伝える術はないのだと語られる。しかし、木の上でその内部の光景を見ていた青年が、老年になってその時の様子を伝える「木の上に誰か」のナンバーが、グッと作品の視点と時空を拡大させる効果を生み秀逸であった。物語が一気にパースペクティブな振れ幅を持ち得た瞬間であった。

 日本側の交渉団は艦隊を引き上げさせることに最初は成功するのだが、徐々に開国を迫る交渉が難しくなっていくにつれ、物語はだんだんと日本の深部の域へと斬り込んでいく。外国人に日本の地を踏ませてはならぬという禁が破られると、そうした前例のない解決出来ない問題に関しては、大名などストラクチャーの上の方へとその責任問題が遡っていくという社会構造が炙り出されることになる。しかし、究極の大本山である天皇は現人神ゆえ、別次元の存在として燦然と輝くアンタッチャブルな存在として筆致されていく。

 そして、諸外国の人や文化が流入してくることにより、さまざまな軋轢が生じていく光景も描かれていく。洋服を身に纏い、ワインを飲みながら苦悩する香山の姿に、果たして何を見て取るのか。正解だと思う気持と、後悔の念とがないまぜになる、その思いが、まさに、今の自分の気持ちとリンクする。グッときた。

 役者陣は誰もが素晴らしい。八島智人と山本太郎がしっかりと主軸に立ち物語を支え、語り部である桂米團治がしっかりと脇から物語を支えている。佐山陽規、畠中洋、戸井勝海、園岡新太郎、岡田正、石鍋多加史、そして、田山涼成らベテラン勢の厚みのある鉄壁な布陣が作品にしっかりとした重みを付け加えていく。

  作品は、ラストのナンバー「ネクスト」で、強烈な印象を残して締め括られる。1976年当時、そこには、音を立てて次のステージへと発展し続けていく日本の希望が託されていたに違いない。しかし、2011年の現在、先行き不透明な情勢の中、3.11を経て、日本は、日本人は、今こそ変わらなければならない時なのだとうメッセージを本作は提示していく。「ネクスト」をどんな世界へと作り上げていくのかは、今を生きる私たちの双肩に掛かっているのだ。このズシリと重いテーマは、劇場を出て現実の生活に戻った瞬間から、それぞれの人間がこれからどう生きていくのかということを鋭く問うていく。2011年の時代の気分が反映された衝撃作であると思う。