劇評1 

“2003年”をゆるやかな直球で斬る快作
「2003・待つ」


2003年7月27日(日) 晴れ
ベニサン・ピット 14時開演
作:ニナガワカンパニー・ダッシュ
構成・演出:井上尊昌
場 : ベニサンの小空間。舞台には巨大なジャングルジム。
人 : 出演者の知り合い関係が多い印象。なので、ご年配の方から、
俳優志望らしき人まで千差万別。客席は満席。
 既存のテキストをつむぎ合わせてその“時代”を斬る「待つ」
 2003年のオープニングはボルヒェルトの「戸口の外で」。蜷川氏の初演出作を冒頭に据えオマージュを捧げたか。

 井上演出は、役者の素材を前面に押し出してストーリーを語るのが特徴。役者を信じて愛している情が伝わる。蜷川氏の優秀でない役者は素材として捉える感じとは視点を異にする。
 但し、音や群集や衣装や観客の五感に訴えることで物語の時間を越えた普遍性を獲得する蜷川演出とは違い、井上演出は時空間の表現の切り取り方が重層的ではなく、コラージュ的だ。そういった点から言えば情報が散逸する2003年的とも言える。


 また、前回迄は空の高みから見た事象といった視点があったが(2001年版のパンフは空撮写真をイラスト化したような物だった。)、今回は地に足ついて語る若者の苦悩をストレートに表現している。そういう意味で直球という表現を使った。
 しかし、剛速球ではなく、点を繋いで(効果音やちょっとした仕掛け、映像を絡めながら)カタチにする表現は、いくつかの要素が絡み合っているため、多少ゆるやかな曲線を描いている。

表現の構成要素が明快なのはアタマが良い証拠か、要素も強引に捻じ伏せ大きなうねりに転じさせない作風は才能なのか、これからが勝負どころか。


 しかし、ラスト、「12人の怒れる男」(この作品をチョイスする直球さ)と若者が1つの空間に共存したシーンは、正直グッときた。感動した。
 2003年、今がそこには存在していた。そして、その向こうには何が有るのか…。


 また、「カスパー」以降ずっと思っているのだが、空間構成や人物の動作が何故かしら劇画的(という表現が正しいか?)である気がしている。重力感の喪失、自由に空間移動できる軽やかさ。


 蜷川氏とは全く違った素材(台本)選定で、あっと驚く面白おかしい世界を造型したものも見てみたい。