劇評200 

野田秀樹が鳴らした警鐘は、鋭い刃となって心の奥底に仕舞い込まれた。衝撃作。


 「エッグ」

2012年9月8日(土) 晴れ
東京芸術劇場 プレイハウス  19時開演

作・演出:野田秀樹
音楽:椎名林檎 美術:堀尾幸雄 照明:小川幾雄
衣装:ひびのこづえ 選曲・効果:高都幸男 振付:黒田育世
映像:奥秀太郎 美粧:柘植伊佐夫
出演:妻夫木聡、深津絵里、仲村トオル、秋山菜津子、大倉孝二、藤井隆、野田秀樹、橋爪功、他

  

場 :  東京芸術劇場が全面リニューアルです。エントランスから内観に至るまで全て新しく造り変えられています。華やかでモダンな印象です。長いエスカレーターに乗って、プレイハウスへと向かいます。開場時間になりましたが、ロビーでしばし待つことになります。10分程で会場内に入ることが出来ました。何かあったのかな? 劇場内は壁にレンガなども配され、全体的にシックで落ち着いた色調です。

人 :  ぎっしりと満席です。客層の年齢層は40〜50歳代が中心ではないでしょうか。野田さん作品の観客は、だんだんと年齢層が上がってきている気がします。昔からのファンが離れず劇場へと足を運んでいるのでしょうね。

 野田秀樹は、またもや歴史を遡る。脳内でイメージを紡ぎ、言霊を転回させていきながら時空を跋扈する展開はまさに野田秀樹ワールドだが、本作は、まるで時代の薄いベールを1枚1枚剥ぎ取っていくかのごとく、歴史の奥底に蠢く真実へと肉迫していく。

 2012年の新作として、野田秀樹が盛り込んだスペックは、オリンピックと新劇場の杮落とし。オリンピック・イヤーであることと、自らが芸術監督と務める東京芸術劇場のリニューアルとが融合する。そして、劇場に遺された寺山修司の未完の戯曲を読み進めながら、その中に書かれた歴史の真実を辿っていくというスタイルで物語は展開していく。ナビゲーターである戯曲は、大衆の欲望を操作する支配者階級の思惑を遡り、その蛮行を暴いていくという、まるで推理小説を捲っていくかのようなスリリングな様相を示していく。

 語られる物語の中軸に立つのは、タイトルにもなっている「エッグ」である。「エッグ」とは卵を使う架空のスポーツであり、その競技がオリンピックに正式採用されるかどうかという時代設定が成されている。観る者は、当然、リアルな現代を思い浮かべる訳なのだが、だんだんと東京で行われるオリンピックの時代であるということが分かってくる。読み進めていく内に、ハタと気付かされる出来事に遭遇する小説の醍醐味を、野田秀樹演じる劇場の芸術監督が、寺山修司の架空の戯曲から掴み出していく。

 では、1963年のオリンピックであろうと、そういう視点で物語を解釈していくと、またもや、矛盾点が浮かび上がってくる。そして、1940年に東京で開催されるはずであった時代こそ、この物語の舞台であることが露見してくるのだ。日中戦争等の影響から政府が開催返上した幻のオリンピック。何やら、キナ臭い香りが漂ってくる。

 大衆の欲望を吸い上げる装置として機能するのは、スポーツだけではない。音楽もまた、扇情的に人間の心を煽るために働くことを明らかにさせていく。そして、世を司る立場の者たちは、真実を覆う手段として、“祭り”を、大衆に送り出し続けていく。そして、その先には“戦争”というビジネスが待っている。

 音楽を担当するのは椎名林檎だ。野田作品で、オリジナル音楽がこれ程フューチャーされたことは、此れまで無かったのではないか。椎名林檎の楽曲を得て、飛び交う台詞の奥に潜む人間の哀しみや憂いがグッと引き出され、野田の才気にふくよかな温かみを付け加えていく。また、繊細な構造物のようなひびのこづえの衣装や、さまざまな仕掛けが施されたおもちゃ箱のような美術を形作る堀尾幸男の才能が、作品をリアルさから解き放ち、普遍性を獲得させていく。

 演じる役者陣は脂の乗り切った旬の逸材が集い、作品に魂を吹き込んでいく。妻夫木聡の快活さ、そして、心の奥底に秘めた哀しみと諦めにも似た希望が、観客の心とシンクロする。居並ぶ名優たちが繰り出すパッショネイトなアプローチを一気に引き受け、スクッと物語の中心に立ち続ける。深津絵里は、支配者階級の思惑から決して逸脱することが出来ない、持つ者の立場の逡巡する想いを、歌姫振りも堂々に謳い上げていく。

  仲村トオルは、屈強な体躯を活かしたスポーツマン役だが、どんでん返しのキーマンともなり、作品世界を側面から支え、物語に安定感を与えていく。秋山菜津子の嬉々とした弾け振りも心地良く、橋爪功の狡猾さと共に、リアルさをエンタテイメントに塗り替えていく。大倉孝二の存在は、常に、穏やかな空気感を振り撒き独特の笑いに包まれる。藤井隆は、コメディーリリーフと正統さの間に居て、役柄にふくよかな人間性を与えていく。野田秀樹の役者振りは、もはや、名人の芸を堪能するかのごとく、至宝の域に辿り着いていると思う。

  大衆が戦争の軍靴に駆逐された時、その裏で一体何が起こっていたのかという、その一端を、本作はストレートに提示していく。しかし、あまりにも直球なため、少したじろいでしまう自分が居た。忘れてはならない歴史の真実を伝えていくのは、“書く者”にとっての義務なのかもしれない。大衆の欲望が上手く利用され、戦争へと転向していく様を見て、“祭り”の裏にある本心を見抜く力を民衆は蓄えておかなければならないのだという思いを強く抱いた。今でも、この構図は、きっと変わりなく機能しているのであろう。野田秀樹が鳴らした警鐘は、鋭い刃となって心の奥底に仕舞い込まれた。衝撃作であった。