劇評241 

三浦大輔にしか造形できない世界観に心地良く酔い痴れ、充足感を享受できる衝撃作。

 
「失望のむこうがわ」

2014年2月22日(土) 晴れ
SPACE雑遊 14時開演


作・演出:三浦大輔 
出演:平田満、井上加奈子、平原テツ

   

場 : SPACE雑遊で観劇するのは初めてです。新宿三丁目駅のC-5出口からすぐというアクセスの良さは、利便性抜群ですね。劇場は地下1階にあります。非常に小じんまりとしたフリースペースの空間のセンターに、ステージが設えられています。客席数は100席位でしょうか。

人 : 1階の劇場エントランス付近に、当日券待ちの方々がいらっしゃいました。観客は老若男女、様々な層の人々が集っています。一人来場者比率が高い感じです。皆さん、観劇慣れしているのでしょう。静かに開演を待つことになります。

 三浦大輔が創造する演劇世界は、いつもピッタリと現実と地続きで繋がっており、演劇とはあくまでも作り事なのだという概念を一気に凌駕していく。まるで、秘め事をピーピングしているかのようなスケベ心を満足させながらも、目の前で感情を露わにする人間の剥き出しの本性を目の当たりにすることで、観る者の本能を刺激していく。そのチクチクとした感情が行き交う真情の奥底に沈殿しているのは、今を生きる人々が抱える底知れぬ孤独感。その哀感が透けて見えてくる重層的な設えに、ついつい心が囚われてしまうのだ。

  平田満が井上加奈子と組むユニット、アル☆カンパニーが、この気鋭の三浦大輔に作・演出を託した本作も、そこで演じられていることが現実に起こっていることかのようなリアルさで、息を潜めて事の成り行きを見つめるしかない緊迫感に満ち、思わず前のめりになって舞台を注視し続けていく。

 妻の浮気に気付いた夫と、その妻との会話劇。二人の対話の中から見えてくる50歳を過ぎ、子どものいない夫婦の間に吹く獏とした隙間風が吹く光景を突き付けられ、人間関係とは、本来、個対個とが対峙することが基点なのだと言わんばかりに、観客の気持ちも逃げ場のない袋小路に追いやられていく。そこで苦悩する登場人物と観客とは、もはや一蓮托生だ。

 多分、結婚して約四半世紀、大きな波風を立てることなく共に生きてきた夫婦なのであろうが、所詮、個々の人間同士でしかないことがデスクロージャーされるというその事実に愕然としながらも、二人は逃げることなく己の思念に忠実に向き合っていく。その光景は観ていてとても辛いのだが、他人の不幸を惹起する自分のネガティブな部分がムクムクと起き上がり、何故か、心地良ささえ感じていくのだ。

 夫ではなく、妻が浮気をしているという設定が、面白い。そして、妻にとっても、夫にとっても、その事の顛末にどう対処していいのかが分からず、模索しながら互いと向き合おうとする姿が実にサスペンスフルなのだ。細い綱を、ビクビクしながら渡っていくかのような緊張感。多分、お互い、綱を渡りきりたいと思っているはずなのだが、初めて渡る細い路を通る、そのバランスの取り方が分からないもどかしさが、観る者にもついつい共感を与えていく。

 舞台は夫婦が住むダイニングで終始展開されていく。そこで心理戦を闘わせる会話劇を俯瞰し、悲劇を喜劇ならしめる役割を担うのが、TVから流れる映像と音声だ。「アッコにおまかせ!」の時間帯に外出している妻に執拗に電話を架ける夫。「笑点」の頃には妻は帰宅しており、夫婦はお互いの腹を抉り出していく。そして、「ちびまる子ちゃん」のテーマ音楽に、二人共、ハッと我に返り冷静さを取り戻す。多分、日本人であれば誰にでも通じる、心憎いアクセントだ。

 起承転結で言う転にあたるであろうタイミングで、妻の浮気相手が、ガソリンスタンドでの勤務を終えたままの作業着姿で夫婦の家に馳せ参じることとなる。茶髪のやや小太りの男の体躯が、ああ、現実にあったことなのだという、更に妙なリアルさを作品に付与していく。そして、男が、中年女を面白がって弄んでいたことが分かってくると共に、夫婦間にあった溝が少しずつ瓦解していく。“敵”の姿が明らかになったことにより、夫婦の心が共振し始めるのだ。こんな男に翻弄されていたのだという馬鹿馬鹿しさが、二人の間である種のシンパシーを獲得していくことなる。

 平田満が造形する、逡巡する想いをコントロールしきれない男のもどかしさがグッと腹に突き刺さってくる。普段は穏やかで優しい夫なのであろう。しかし、最近では夜の営みはとんとご無沙汰だという、典型的とも言える夫婦の在り方が自然に透けて見えてくる。今は怒るべき時なのだから怒ろうという自分の感情をセーブしながらも、抑え切れない滾る想いを暴発させてしまうアンビバレンツさがスリリングだ。

 井上加奈子演じる妻は、全面的に自分に非があると受容しつつも、起こってしまったことを淡々と語る冷静さに女性が持つ逞しさを忍ばせていく。しかし、夫との対話の間、終始、顔面がヒクヒクとするチック症状を示し、追い詰められた女の哀れを表出させ目が離せない。夫を決して嫌っているのではない、けれども充足できていない今の感情が露わになることで、女が抱える孤独感が滲み出し胸が詰まる。

 間男を演じる平原テツの存在が、現代若者の等身大の姿をクッキリと作品に刻印していく。他人の弱みを蹂躙しつつ、徹底的に己の欲望を優先する浅薄さと併走しながら、わざわざ浮気相手の家にやってくるという真摯な行動を説得力を持って表現していく。母が先週亡くなったから自分の生き方を考え直さなければならないという理由も、あながち嘘とは言えないが真偽の程は分からない、そんな曖昧さを微細に演じていく。

 今を生きる等身大の人間を共感性を持って描いて白眉である。三浦大輔にしか造形できない世界観に心地良く酔い痴れ、充足感を享受できる衝撃作であった。