劇評287 

アートを突き詰める者の苦悩を描きながら、新旧交代の哀感を筆致した見応えある作品。

 
 
「RED」

2015年8月30日(日) 小雨
新国立劇場 小劇場 15時開演

作:ジョン・ローガン
翻訳・演出:小川絵梨子

出演:田中哲司、小栗旬

場 : 新国立劇場 小劇場は、どの席からでも見やすいので有り難い。しかも、バルコニー席の一番お安い席が4,000円という価格です。劇場内に入ると、既に設らえられたセットが見えている状態です。外光が遮断されたアトリエな感じの装置です。マーク・ロスコが登場人物ですものね。

人 : 満員御礼です。約8割は女性客です。年齢層は、40歳代以上風の方々が多いですね。男性客は、もう少し高めの年齢層です。小栗くんファン、田中さんファン、演劇好きの人々が混載された感じです。

 現代アメリカ抽象絵画の巨匠マーク・ロスコとその弟子ケンの物語である。ニューヨークのレストラン、フォー・シーズンズのダイニングを彩る予定の連作絵画を創作している時期に、フォーカスが当てられている。作者は、ジョン・ローガン。最近だと、007の脚本などにも参加する売れっ子作家であるが、戯曲の執筆にも精力的なようだ。

 エンタテイメントを熟知した作者であるため、弟子と巨匠、追う者と追われる者の確執や葛藤がビビッドに描かれ、二人芝居でも決して観客を飽きさせることがない。かえって、他の人物が排されていることにより、男二人の真情に集中することが出来る。

 ロスコのアトリエに掲げられた赤い画布の前に、二人が対峙するところから物語は始まり、終始そのステージから舞台が離れることはない。その密閉された空間に二人の生き様が封じ込められ、濃密な時間が立ち上がってくる。

 名声を博す巨匠でありながらも、逡巡し思い悩みながら作品の創作に立ち向かうロスコの姿は、痛々しささえ感じる程、自分で自分を追い詰めているかのように見える。自分のクリエイティブを理解出来ないであろう人々に対して湧き上がる一種の“怒り”のようなものを、助手であるケンに叩き付けるかの如く、顎で使うことで発散しているようにも感じられる。

 しかし、その根底では、主従という関係性だけでは片付けられない、捩れたコミュニケーションが成立している。お互いがどんな生活をしているかなど、プライベートの出来事が会話に出てくることは全くない。二人は、作品を創るという1点のみで繋がっているのだ。しかし、ケンはそこにフラストレーションを募らせ、全く取り合わない様にも見えるロスコは、感覚的にそんな感情を察知しているようなのだ。知らず知らずの内に、お互いが必要不可欠な存在へと変転していく。

 二人が食事をしながら、芸術論を交わすシーンが楽しい。躊躇することなく、料理を口にほおばり、台詞が言えるか言えないかのギリギリのラインを保ちながら会話を続けていくパフォーマンスに、思わず舞台に目が釘付けになる。そこには可笑し味と共に親和性も生まれ、ステージと観客席とが一体化していく。

 小川絵梨子の演出は台詞を丁寧に深く考察し、演じ手がお互いの感情の発破により万華鏡の様に変化していく関係性を繊細に掬い取っていく。また、音楽の使い方であるが、暗転の際、背景音のように流れていた音楽が、舞台が溶明すると、アトリエの片隅にあるレコード・プレーヤーの音であったことが分かり、室内で鳴る音へと変転するなど、特徴的な使い方が成されている。閉じられた空間に、グッと奥行きが増していく。

 ロスコを演じる田中哲司は、頂点に上り詰めた者が、そのクオリティを維持していかなければならない苦悩と、自己の表現がどれだけ理解し得るものなのかに揺れる葛藤を大胆に表現していく。ケンを演じる小栗旬は決して大家に媚びることなく、創作過程を通して、しっかりと芸術に向き合っていく姿が清々しい。

 二人の俳優の個性は際立っていくのだが、その二人が合い見えた時のパワー・バランスの描かれ方が微妙な感じがした。ロスコはもっと尊大な部分があって欲しいし、ケンはロスコに対してリスペクトしている感情をもう少し放熱してくれると、更に重層的で複雑な人間ドラマが織り成されたと思う。実力派俳優と人気スターという構図が、作品にスライドして見えたのは私だけであろうか。

 最後の顛末には納得の部分があり、そうか、青年の成長物語でもあったのだなと感じ入る。アートを突き詰める者の苦悩を浮き彫りにしながら、新旧交代の哀感を筆致した見応えある作品であったと思う。


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